勝負の分かれ目
試合の勝敗を決めた一つのプレーや采配、シーズンの行方を占ったチーム編成、歴史に残るイベントとなった大会運営への方針決定など、スポーツには明暗を分けた〝その時〟がたくさんある。選手や監督、または大会運営者たちはいかなる決断をしたのか。ビジネスの世界にも通じる成功と失敗を分ける判断力、紙一重の世界を、スポーツから学ぶ。

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2022/06/23 新田日明
格闘技の底力を見た。6月19日に東京ドームで行われた格闘技イベント「THE MATCH 2022」は日本中に近年稀に見る大きなインパクトを与えた。那須川天心と武尊の世紀の一戦は間違いなく日本の格闘技人気復活と新たな可能性を見出す流れを作り…
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2022/06/13 新田日明
プロボクシングのWBAスーパー、WBC、IBF世界バンタム級王者の井上尚弥が米老舗ボクシング専門誌「ザ・リング」の「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」で1位に選出された。日本人ボクサーが1位に選ばれたのは史上初の偉業だ。
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2022/05/26 新田日明
貫禄を示す格好となった。22日に千秋楽を迎えた大相撲夏場所は横綱照ノ富士が3場所ぶり7度目の優勝を飾った。ひと昔前と違って力士の大型化や、いわゆる〝ガチ相撲〟が徹底する中、1人横綱として制した意義はとてつもなく大きい。
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2022/05/10 新田日明
日本の至宝は着実に進化を遂げている。千葉ロッテマーリンズ・佐々木朗希投手のことだ。完全試合を成し遂げて以降も確かなインパクトを残す投球を見せ、国内だけでなく、米国内でも「一体いつ、MLBにやって来るのか」という話題で持ち切りとなっている。
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2022/04/26 新田日明
想像以上の活躍と評していい。シカゴ・カブスの鈴木誠也外野手がMLB移籍1年目からチームの主力として海の向こうで話題を独占している。走攻守のあらゆる能力に秀でた「5ツールプレーヤー」だけでない非常に優れた項目があるようだ。
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2022/04/14 新田日明
文句なしに素晴らしい戦いだった。9日に行われたWBAスーパー・IBF世界ミドル級王座統一戦で、村田諒太はゲンナジー・ゴロフキンに9回TKO負け。それでも、あのゴロフキン相手に互角以上の試合内容で世界中に強烈なインパクトを残した。
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2022/04/05 新田日明
北海道日本ハムファイターズはビッグボスこと新庄剛志監督の新体制で華々しくスタートを切ったが、パ・リーグ最下位に沈んで低迷中。ここまで負けてしまうとポジティブな要素を見つけることは残念ながら極めて難しい。
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2022/03/22 新田日明
さいたまスーパーアリーナで4月9日に行われる村田諒太とゲンナジー・ゴロフキンの統一戦は、長い日本ボクシング史上でも指折りのビッグマッチとして注目を集める。下馬評で言えば、村田の勝ち目は薄いものの、覚悟と戦略が秘められている。
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2022/03/08 新田日明
あの青春時代の記憶が蘇った人たちも数多くいたはずだ。日本武道館で行われた「新日本プロレス旗揚げ50周年記念日」。記念セレモニーでは、名リングアナウンサー・田中ケロ氏の名調子のもと、19人の大物OBたちがセルリアンブルーのマットに帰って来た。
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2022/02/22 新田日明
あらためて羽生結弦の素晴らしさに魅了された人は多かったのではないか。北京冬季五輪にて、ショートプログラムで「氷の魔物」に阻まれ、フリーの前日に右足首を捻挫するアクシデントに見舞われながらも、激痛を押して人類初のクワッドアクセルに挑んだ。
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2022/02/03 新田日明
自身にとって3度目の五輪は重要な大役も兼ねている。北京冬季五輪に臨むスピードスケート日本代表の高木美帆選手は5種目に出場するだけでなく日本選手団の主将を務め、周囲からの期待値と注目度がひと際高い。
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2022/01/21 新田日明
このままでは終われない。サッカーベルギー1部リーグ「STVV」へ香川真司選手が移籍した。入団会見で香川選手は「新しいチーム、監督のもとで変化、進化していきたい」などと語って目を輝かせ、新たな意欲をみなぎらせていた。
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2022/01/06 新田日明
那須川天心のRIZINラストマッチはいい意味で〝課題〟も残した一戦となった。今年6月に実現した「K―1のカリスマ」武尊との一戦への交渉のため、大みそかの対戦カードは難航。五味隆典との試合は拳から格闘技の厳しさを教えられる結果となった。
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2021/12/23 新田日明
横浜DeNAベイスターズの山﨑康晃投手が球団側との契約更改交渉に臨み、単年契約でサイン。ここ2シーズンの不振にあえいでいるものの、MLB移籍への夢を語った。実際のところのMLBでの評価は?
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2021/12/07 新田日明
「名将」への階段を昇り始めたと言っていいだろう。プロ野球の東京ヤクルトスワローズを率いた高津臣吾監督が就任2年目にして20年ぶりの日本一へと導いた。チーム躍進の大きな理由として、高津監督のマネジメントが際立っていた点も抜きには語れない。