2025年2月7日(金)

勝負の分かれ目

2025年1月28日

 日米通算4367本の安打(日本1278本、米大リーグ3089本)を積み上げたイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、史上初となる日米両方での野球殿堂入りをそれぞれ有資格1年目に成し遂げた。メジャーでは、アジアの出身選手として初の快挙。

アジア人初の米野球殿堂入りを果たしたイチロー氏が見る現代野球とは(Steph Chambers / gettyimages)

 ドジャースの大谷翔平選手が屈強な海外選手を圧倒するパワーで2年連続本塁打王に輝いた約四半世紀前の2001年、日本人初のメジャー野手となったのがイチロー氏だ。「非力な日本人はメジャーで通用しない」と言われた移籍当時の前評判を覆し、洗練された感性と抜群のスピードを武器に「走攻守」に“スモール・ベースボール”を体現。メジャーに新風を吹き込んだ「サムライ」のプレースタイルは、まさに野球殿堂にふさわしい功績といえる。

日本の野手の評価を背負ってプレー

 「バカ者は前に出ろ」

 メジャーの野球殿堂で野手初となる満票に1票届かなかった結果に、米メディアの記者は票を投じなかった非公開の記者へかみついた。

 それほどまでに、イチロー氏が刻んだ記録は偉大だったということだろう。

 01年のメジャー移籍1年目から10年連続200安打をマークし、04年にシーズン最多262安打も達成。名手の称号であるゴールデングラブ賞にも10年連続で輝き、通算盗塁数も509を数える。

 ただ、全米野球記者協会(BBWAA)に10年以上連続で所属する記者による得票率は99.7%。ひと足はやく選出された日本の野球殿堂入りに続き、惜しくも満票には届かなかった。

 それでも、晴れやかな表情で記者会見に臨んだイチロー氏は「1票足りないというのはすごく良かったと思います。生きていく上で不完全だから進もうとできる」と笑顔で受け止めた。

 1991年に愛知・愛工大名電高校からドラフト4位でオリックスへ入団。登録名を「イチロー」とした3年目に史上初のシーズン200安打以上となる210安打を放ち、大ブレーク。この年から日本球界でプレーした2000年まで7年連続で首位打者を獲得した。

 95年に野茂英雄氏が日本選手のメジャー挑戦の扉を本格的にこじ開け、その後も日本の投手がメジャーデビューを飾っていった。しかし、野手はイチロー氏の移籍まで6年かかった。


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