2026年8月1日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2026年8月1日

世界遺産への登録が正式に決定し、今まさに熱い注目を浴びる「飛鳥・藤原」。この地はかつて、歴代の天皇によって幾度も宮都が築かれた、日本国家の揺籃(ようらん)の地である。そもそも「飛鳥」とはどのような場所であり、なぜ古代の宮廷人たちはこれほどまでにこの地に魅了され、立ち戻り続けたのだろうか。ここでは、万葉の時代へと深く誘う風土の魅力と、そこに秘められた歴史の謎を探る。

*この記事は、瀧音能之編『飛鳥・藤原に隠された古代宮都の謎(ウェッジ刊)から一部を抜粋・再構成したものである。

奈良盆地の南部に位置する畝傍山と耳成山(写真AC)

「宮」と「都」の違い

 天皇の居所を「宮」または「宮室(きゅうしつ)」と呼び、宮を中心として計画的に建設された都市を「都」と呼ぶ。宮は「御屋」で、神や貴人が住まう建物を尊んでいう言葉であり、都は「宮処(みやこ)」で、「宮のある所」の謂(いい)である。

 よく知られているように、奈良盆地に成立した天皇(大王)を中心とするヤマト政権では、時の天皇が住まう「宮」が政治の中心地となり、「都」といえるような計画的な大都市は長らくもうけられなかった。しかも宮の場所は一定せず、天皇の代替わりごとに遷るのが通例であった。なぜ天皇ごとに宮が移転したのかについては、「崩御した天皇による死の穢れを忌む風習があったから」「当時の建築技術が未熟で、宮殿の耐久年数が短かったから」「古代には父子が別居する風習があったから」など、諸説が唱えられているが、定説はない。

 日本で最初の「都」が誕生したのは7世紀末のこと。それが藤原京(「新益京」ともいう)で、藤原京の「京」は「都」とほぼ同義と考えてさしつかえない。藤原京は中国の都城をモデルとしつつ、天皇が住む宮(藤原宮)を中心として建設された計画都市であり、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)の平城京遷都まで、天皇3代(持統・文武・元明)にわたって、16年間続いた。

 そんなわけで、藤原京以前に営まれた各天皇の宮は、厳密な意味では「都(京)」とはいえないのだが、規模は小さくても、一国の政治の中心地ではあるのだから、広い意味では「都」にあたるともいえる。そのため古代史の分野では、「宮」と藤原京以後の「都」をひとくくりにして「宮都(きゅうと)」と呼ぶことがある。これは歴史学者の岸俊男氏が案出した学術用語なのだが、古代日本における「政治の中心地」を俯瞰するうえでは便利な言葉である。そこで、ここでは「宮都」という言葉を使わせていただくことにしよう。


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