世界遺産への登録が正式に決定し、今まさに熱い注目を浴びる「
*この記事は、瀧音能之編『飛鳥・藤原に隠された古代宮都の謎』
「宮」と「都」の違い
天皇の居所を「宮」または「宮室(きゅうしつ)」と呼び、宮を中心として計画的に建設された都市を「都」と呼ぶ。宮は「御屋」で、神や貴人が住まう建物を尊んでいう言葉であり、都は「宮処(みやこ)」で、「宮のある所」の謂(いい)である。
よく知られているように、奈良盆地に成立した天皇(大王)を中心とするヤマト政権では、時の天皇が住まう「宮」が政治の中心地となり、「都」といえるような計画的な大都市は長らくもうけられなかった。しかも宮の場所は一定せず、天皇の代替わりごとに遷るのが通例であった。なぜ天皇ごとに宮が移転したのかについては、「崩御した天皇による死の穢れを忌む風習があったから」「当時の建築技術が未熟で、宮殿の耐久年数が短かったから」「古代には父子が別居する風習があったから」など、諸説が唱えられているが、定説はない。
日本で最初の「都」が誕生したのは7世紀末のこと。それが藤原京(「新益京」ともいう)で、藤原京の「京」は「都」とほぼ同義と考えてさしつかえない。藤原京は中国の都城をモデルとしつつ、天皇が住む宮(藤原宮)を中心として建設された計画都市であり、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)の平城京遷都まで、天皇3代(持統・文武・元明)にわたって、16年間続いた。
そんなわけで、藤原京以前に営まれた各天皇の宮は、厳密な意味では「都(京)」とはいえないのだが、規模は小さくても、一国の政治の中心地ではあるのだから、広い意味では「都」にあたるともいえる。そのため古代史の分野では、「宮」と藤原京以後の「都」をひとくくりにして「宮都(きゅうと)」と呼ぶことがある。これは歴史学者の岸俊男氏が案出した学術用語なのだが、古代日本における「政治の中心地」を俯瞰するうえでは便利な言葉である。そこで、ここでは「宮都」という言葉を使わせていただくことにしよう。
