2022年12月9日(金)

スポーツ名著から読む現代史

2022年10月28日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

 2022年のプロ野球新人選手選択(ドラフト)会議が10月20日、都内のホテルで行われた。高校ナンバー1スラッガーとして注目された高松商の浅野翔吾外野手は巨人と阪神、立教大の荘司康誠投手に東北楽天と千葉ロッテが1位指名で競合し、巨人と東北楽天がくじ引きで交渉権を獲得した。それ以外の8球団は単独指名ですんなりと交渉権が決まった。

(eric1513/gettyimages)

 まれにみる「平穏ドラフト」と言っていい。だが、1965(昭和40)年の第1回以来、58回に及ぶドラフトの歴史を振り返ると、悲喜こもごも、さまざまなドラマが生まれてきた。今回取り上げるのは、悲劇の中でもとりわけ深刻な事件を扱った『名スカウトはなぜ死んだか』(六車護著、2002年、講談社)だ。

 松坂大輔や上原浩治ら、日米で活躍した選手がそろい、「大豊作」といわれた1998年のドラフト会議。注目選手の中に、沖縄水産高の150キロ右腕、新垣渚がいた。ドラフト前から新垣側は「プロ入りならダイエー(現ソフトバンク)以外は行かない」と宣言していた。オリックスはその新垣を1位指名し、ダイエーとの抽選の結果、当たりくじを引き当てた。しかし、入団交渉は予想通り難航した。

 オリックスの交渉役の中心となったのが三輪田勝利編成部長(当時53歳)だった。沖縄に乗り込み、交渉を続けた途中の98年11月27日、那覇市内の高層ビルから身を投げ自殺した。遺書はなかったが、当時の球団代表は「責任感の強い人だったから、一人で思いつめたのかもしれない」と語った。

 著者の六車氏は早稲田大学野球部で三輪田と同期だった。同じ投手として4年間、ともに汗を流した。卒業後は毎日新聞の運動部、経済部の記者として健筆をふるった。東京本社運動部長、論説委員はいずれも私筆者の前任者である。

 旧友の突然の死に衝撃を受け、三輪田の身に何が起きたのか、関係者を訪ね歩き、4年かけて『名スカウトはなぜ…』を執筆した。ドラフトをめぐる「闇」に迫った好著で、旧友への鎮魂の願いも込められている。

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