118年間、毎月続く「常会」で二宮尊徳の教えを学ぶ。昨今はやりのSDGs(持続可能な開発目標)は、200年前の日本にあった。
戦時中も
休みなく続く
二宮尊徳(1787~1856年)をご存じだろうか。やや年配の人ならば小学校に像が建っていた二宮金次郎のことだろうと思い当たるに違いない。手に書物を持ち、薪を背負って一歩踏み出している少年像だ。その二宮尊徳の「教え」を今も受け継いでいる団体がある。静岡県掛川市にある「大日本報徳社」である。
日本初の木造復元天守閣で知られる掛川城に隣接した場所にある大日本報徳社では、月に1度の「常会」が開かれる。
取材に訪ねた2021年6月6日の日曜日の「常会」は何と1748回目。大講堂で行われる常会は、1903年(明治36年)から118年にわたって綿々と続いているという。「戦時中も一度の休みもなく続いているんです」と事務局長の綱取清貴さんは言う。
会場に使われている木造の大講堂が建てられたのが1903年で、今では国の重要文化財に指定されているが、その落成前から続く常会はまさに文化財級ということになる。
大日本報徳社は尊徳の教えを学んだ岡田佐平治(1812~1878年)が、尊徳の死後19年後の1875年(明治8年)に設立した「遠江国報徳社」が起源で、1911年(明治44年)に「大日本報徳社」に改称された。尊徳の「報徳の教え」を学び、地域活性化を実践する組織として全国各地にできた「報徳社」の代表的組織だ。
「至誠」「勤労」「分度」「推譲」
に集約される教え
尊徳は江戸末期の小田原(現神奈川県小田原市)藩領で農民として生まれたが、勤勉に働いて困窮から脱し、村々の再建を成し遂げ、藩に見出されて小田原藩士となり、藩の財政の立て直しに手腕を発揮した。その評判が世の中にとどろき、幕臣となって江戸末期の諸藩を財政危機から救った。その教えは「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の四語に集約されて伝わる。
誠を尽くして、一生懸命に働いて収入を増やし、支出は収入の何割と決め、残りは自家の将来への備えと、世の中の人々への還元に当てる。藩に対しても収入内に支出を抑える「分度」を求め、年貢を減らして農民の勤労意欲を高め、生産性を改善する。そうした「報徳仕法」が大きな成果を上げた。