「千疋屋総本店」といえば、高級フルーツ店の代名詞である。店頭に並ぶ贈答用の果物は、最高の品質だが、値段も高い。マスクメロン1個1万5000円、デコポン1個3000円といった値札が並ぶ。
そんな千疋屋を危機が襲ったことがある。1990年代のバブルの崩壊である。高級なものほど売れた時代は幕を閉じた。それまでのギフト依存、法人依存の経営は大打撃を受けた。
そんな最中、1998年に大島博氏は6代目の社長に就任した。千疋屋は代々、大島家の長男が跡を継いできた。大島氏は40歳になったのを機に5代目の父の後を継いだのだ。
「バブルが崩壊して、店もお客様のニーズに合わなくなっていました。ズレを感じていたんです」と社長就任時を振り返る。世の中の声に耳を傾けると、「敷居が高い」「名前は知っているけど店に行ったことはない」、そんな評価が多かった。
2001年、大島社長は「ブランディング」の見直しに着手した。名付けて「ブランド・リヴァイタルプロジェクト」。顧客ニーズに合ったブランドの再構築を狙ったのだ。
真っ先に行ったのが、顧客への調査だった。その結果、千疋屋の良いところと、変えるべきところが見えてきた。
認知度が高く、高級ブランドとしてのプレステージがあること、顧客ロイヤリティが高いこと。本物志向、本社が日本橋に立地していることなどが「残すべき価値」として浮かび上がった。一方で、問題点も分かった。これまで培ってきた価値観を活用できておらず、若年層の取り込みができずに顧客が高齢化していること、デザイン戦略が不足していること、顧客とのコミュニケーションが下手で、一方的に商品の説明をして押し付けていることなど、古めかしいイメージで時代と乖離があることも明らかになった。大島社長が感じていた通りの結論だった。
実は大島社長は慶應義塾大学を卒業後、ニューヨーク大学とロンドン大学に留学して経営学を学んだ。その時「ブランディング」も学んだが、千疋屋に入って、その重要性を感じていた。
社長として取り組んだブランディングの再構築で、コアに据えたのが「ひとつ上の豊かさ」だった。あえて「高級」という言葉を使うのはやめた。顧客向けのメッセージにはこう書いた。
「私たちは、どこよりも新鮮かつ厳選された果物を中心としながら、お客様の生活に『ひとつ上の豊かさ』を提供するブランドであり続けます」──。