1950年代は腕時計の技術が完成した黄金期。買ったら一生使う。壊れたら修理し、孫子の代まで使う。そういう時代背景の中で作られたモノなのです」
アンティーク時計を専門に扱う「ケアーズ」を川瀬友和さんが立ち上げたのは、今から30年前。クオーツ(電池式)時計が全盛の頃で、機械式の時計は「時代遅れ」としてかえりみられることがなかった。そんなアンティーク時計にのめり込んだのは、「壊れたら新しいモノに買い替えていけばよいという考えが、どうしても嫌でたまらなかった」からだと振り返る。
きっかけは父親の時計
東京都江東区森下に本社を置く「ケアーズ」は、六本木の東京ミッドタウンと表参道ヒルズに店舗を持つ。古いものを大切にする文化がある米国やドイツに買い付けに行き、自社の工房で修理・整備して店頭に並べる。
1本10万円前後の「入門編」から1000万円を超す名品まで。マニアだけでなく、古いモノに価値を見出す人たちに着実に支持されてきた。
川瀬さんと時計の出会いは中学生の頃。父親から、永年勤続の記念品だったセイコーの「スポーツマチック」をもらった。裏ぶたを開け、構造を調べ、分解するうちに、機械式時計のメカニズムにハマっていった。ちなみに「スポーツマチック・ファイブ」は1963年に売り出されて世界的な大ヒット商品となり、日本の「セイコー」の名前を一躍世界に知らしめた時計だ。
体育大学を卒業後、水泳のインストラクターをしていたが、機械式の時計集めに熱中する。時間がずれないクオーツが主流になった当時、町の時計店では手巻きの腕時計が埃をかぶっていた。半ば見捨てられて不良在庫と化した国産時計を、定価の5分の1、数千円で譲ってくれる店も多かった。休みのたびに川瀬さんは時計店を回った。
そんなある日、日本フリーマーケット協会が、渋谷のNHK前広場で開いた「フリーマーケット」に出会う。米国伝来の新しい風俗に魅せられた川瀬さんは、集めてきた時計を並べる店を出してみることにした。すると思いのほかよく売れるではないか。