2022年12月10日(土)

VALUE MAKER

2021年1月2日

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磯山友幸 (いそやま・ともゆき)

ジャーナリスト

千葉商科大学教授(4月から)。1987年日本経済新聞社に入社。フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長などを務め、11年に独立。著書に『2022年、働き方はこうなる』(PHPビジネス新書)など。

 「自分と同じように古いモノに価値を見出す人たちがいる」

 川瀬さんは、インストラクターの合間に出店を繰り返した。フリーマーケットで知り合った友人が東京・中野の商店街「ブロードウェイ」に雑貨店を出したので、そこにも時計を並べてもらった。アンティーク時計が安定的に売れるようになった。

 「本物のフリーマーケットを見たい」

 当時、そんな一心でカリフォルニアを旅した。英語もできず、レンタカーの借り方さえ知らない中で、アンティーク時計の世界で有名だったフリーマーケットに何とかたどり着いた。

 「本当にカルチャーショックでした」と川瀬さんは振り返る。その旅がきっかけとなって、アンティーク時計を扱う商売が徐々に「副業」から「本業」になっていった。

 米国のアンティーク時計市などで買い付けると、どうしても修理や整備の知識が必要になる。当時の日本の時計店には分解修理ができる腕を持った職人が必ずと言ってよいほどいたが、弟子入りを乞うても相手にされない。技術を身につけるのに、30歳を過ぎた年齢では遅すぎる、というのだ。

 ところが、米国で時計職人に修理の技術を教えてほしいと頼むと、喜んで伝授してくれた。日本と米国のカルチャーの違いを痛感した。川瀬さんはそうやって修理の技術を身につけた。

 メカニズムに興味があった川瀬さんは、当時から、時計を買う時には部品も同時に購入してきた。修理をするには部品が必要になることが少なくないが、製造当時の部品はなかなか手に入らない。補修の部品を新しく作ることもあるが、同型の時計を分解して部品だけを取り出して使うことも多い。

 そうした部品を取り出すための半ば壊れた時計や部品は、当時は二足三文で買えた。機械式の時計が価値の高いものとして世界的にも見直される日が必ず来ると川瀬さんは信じたのだろう。「今ではそれが宝の山になっています」と川瀬さんは笑う。

 会社を設立したのは89年。いわゆる「バブル」真っただ中の時だ。安くて良いモノを大量に使い捨ててきた高度経済成長期を通り抜け、「高くても良いモノ」を買う余裕が日本人にも生まれたタイミングだった。

 当時の高級品ブームに乗って、スイス製のロレックスが人気を博した。ロレックスの「デイトナ」は定番クロノグラフとして高い知名度と圧倒的な人気を誇った。今でも新モデルが販売されているが、川瀬さんは「70年代の手巻きで少し小さめのサイズのモデルはすごく格好いいが、コストがかかりすぎてもう作れるメーカーはなかなかいないのではないか」という。新製品のロレックスが売れるとともに、ロレックス製のアンティークにも注目が集まった。

 会社は順調に成長を続け、今では従業員30人の会社となった。分解修理やオーバーホールに当たる技術者も8人。しかも若手が育ってきた。

肘を水平に置くことで手元が安定するという特性の机で作業を行う職人の皆さん

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