2023年1月28日(土)

新しい原点回帰

2021年9月4日

»著者プロフィール
閉じる

磯山友幸 (いそやま・ともゆき)

ジャーナリスト

千葉商科大学教授(4月から)。1987年日本経済新聞社に入社。フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長などを務め、11年に独立。著書に『2022年、働き方はこうなる』(PHPビジネス新書)など。

 大島社長はロゴ・マークを一新した。千疋屋の頭文字の「S」と、収穫の女神「デーメテール」の横顔をモチーフに意匠化したものだ。明治時代から使ってきた、丸に「疋」の字のマークは、保証書などごく一部を除いて使うのをやめた。当時の幹部は5代目に仕えた人たちだから、反対意見も多かった。それでも大島社長は踏み切った。

「高級」という言葉は封印したものの、高級果物を扱うことに変わりはなかった。そんな中で、若者を含めた幅広い顧客にもっと手の届く存在になるにはどうしたらいいか。

 そこで乗り出したのが、生ケーキだった。全国の産地から集まる選りすぐりの高品質な果物を大田市場で買い付けるため、少量のズバ抜けて良いものを揃えるので、リンゴ1つが数千円にもなる。ところが果物を小さく切ってケーキにすれば、数百円で販売することができる。焼き菓子やジャム、フルーツのシロップ漬けなど加工品も広げていった。加工品は製造を業者に委託しているものが多いが、生ケーキは自社で製造している。生ケーキや果物の加工品などを増やすことで、比較的手軽に買える商品のラインナップを充実させたわけだ。

コロナ禍の最中ではあるが、日本橋本店のお客が絶えることはなかった。食べて美味しいことはもちろんだが、陳列される各種果物、スイーツなど見ているだけでも楽しい。

 この戦略は大きく当たった。以来、売上高は4、5倍に拡大。今では生フルーツの売上高に占める比率は2割くらいにまで下がっている。売り上げがついてきたこともあり、ロゴ変更への抵抗感は急速に消えていった。

それぞれの代が
直面した危機

 

 千疋屋の創業は天保5年(1834年)。武蔵国埼玉郡千疋村(現・埼玉県越谷市)で槍術の道場を営んでいた大島弁蔵が、道場経営が苦しくなって、千疋村界隈で穫れた農産物を船で江戸に運んで売ったのが始まりとされる。2代目文蔵が高級果物路線に転換、3代目代次郎の時には大きく成長し、日本橋室町に土地を買い洋館を建てた。

「それぞれの代で危機に直面しているんです」と大島社長は語る。2代目の時は江戸の大火で店舗が焼け、3代目は明治維新。それまで幕府御用達だった関係で、宮内庁への出入りが憚(はばか)られた。この時、8店舗にのれん分けして、京橋千疋屋が宮内庁に果物を納めるようになり、危機を乗り切った。ちなみにマスクメロンを日本に持ち込んだのは宮内庁だという。当時は千疋屋も世田谷に自社農園を持ち、メロンを栽培していた。


新着記事

»もっと見る