スポーツ名著から読む現代史

2021年11月19日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

 あれからもう40年余の歳月が流れている。山際淳司をはじめとする新進気鋭のスポーツライターが次々と話題作を発表し、「スポーツノンフィクション」が文芸の一ジャンルを確立した時期である。『江夏の21球』は1980年に創刊された「Sports Graphiⅽ Number」(文藝春秋)の記念すべき第1号に掲載された。

(Geobacillus/gettyimages)

 広島カープと近鉄バファローズが対戦した79年のプロ野球日本シリーズ。3勝3敗の第7戦、広島が1点リードして迎えた9回裏の近鉄の攻撃。広島の抑えの切り札、江夏豊が一死満塁のピンチを招いた。一打逆転なら西本幸雄監督率いる近鉄が悲願の日本一を達成する。絶体絶命の状況で、江夏は相手のスクイズを外し、無失点で切り抜け、古葉竹識監督の身体が4年ぶりに広島ナインの手で宙に舞った。 

 江夏が21球を投じた9回の攻防。時間にして約26分間に及んだドラマを、山際は精緻な取材を通して両軍ベンチの動きを含め再現していく。スポーツを伝える報道が、勝ち負けを中心にした「結果中心主義」から、選手の心のひだまで踏み込んだ「過程中心」へと移行し、取り扱うスポーツジャンルも飛躍的に拡大した。あす20日から始まる東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファローズの日本シリーズでも、結果だけではないさまざまなドラマが生み出され、報道されていくのだろう。

 記念碑的な作品である『江夏の21球』(『スローカーブをもう一球』〈角川書店〉に収録)を読み解き、歴史的な位置づけを考えてみたい。

中継では見えないマウンドとベンチのすれ違い

『スローカーブを、もう一球』(2012年、角川文庫)

 『江夏の21球』はこんな書き出しで始まる。

<近鉄バファローズの石渡茂選手は、今でもまだそんなはずがないと思っている。>

 石渡は、江夏と並ぶこの物語の主役だ。クライマックス部分で重要な役割を演じるのだが、そこに至るまでの過程で、一人ひとりの登場人物についても山際は、インタビューを通じての当人の心のひだにまで踏み込み、野球というゲームを壮大な「人間ドラマ」として微細に描いてゆく。

 物語の舞台を説明すればこうだ。79年のプロ野球日本シリーズ、3勝3敗で迎えた最終第7戦。先行するセ・リーグ王者広島を近鉄が粘り強く追い上げ、3-4の広島1点リードで迎えた9回裏の近鉄の攻撃。先頭の羽田耕一が江夏の初球をセンター前にはじき返して出塁した。代走の藤瀬史朗が次打者アーノルドの4球目に走った。捕手水沼四郎の送球が悪送球となり、藤瀬は三塁を陥れた。無死三塁。外野飛球で同点となる場面で、江夏はアーノルドを歩かせ、無死一、三塁とピンチは広がった。

 まさにその時、マウンドの江夏の目に、あるシーンが飛び込んできた。三塁側ブルペンで池谷公二郎が投球練習を始めたのだ。

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