2024年12月23日(月)

スポーツ名著から読む現代史

2021年8月19日

 まさに「異形」のまま東京五輪が幕を閉じた。日本選手が金27個、銀14個、銅17個と過去最多のメダルを獲得するなど活躍は目を見張るものがあったが、新型コロナウイルス感染拡大のため予定を1年延期して開催し、ほとんどの競技会場を無観客とするなど、従来の五輪大会とは様相を異にした17日間だった。国内では開幕直前まで「中止または再延期」を求める声が高まり、「五輪好き」と思われてきた日本人の分断を印象付けた大会でもあった。

(Mawardibahar/gettyimages)

 日本人の「五輪好き」は、半世紀前の東京大会の経験が影響しているのかもしれない。戦争で廃墟と化した東京の復興を世界に強くアピールしたのが1964年の東京五輪だった。平和国家として再出発し、律儀で几帳面、約束を守る日本人の特性が大会運営にも色濃く投影された。閉会式で当時の国際オリンピック委員会(IOC)会長、アベリー・ブランデージ(1887-1975年)は「東京大会の運営に金メダルを贈りたい」と日本を絶賛した。

 終わってみれば、「五輪優等生」として認められた日本。だが、酷暑の中、大会を開催するのは、五輪の最大のスポンサーであるアメリカテレビ局の都合だ。アメリカにおいて夏は、ナショナルフットボールリーグ(NFL)のシーズン開幕や野球の大リーグ(MLB)プレイオフ、プロバスケットボール(NBA)といった人気スポーツイベントがない季節。巨額な放映権料を払う米テレビネットワークNBCテレビ局がより多くの視聴者を獲得しようと、夏を選ぶのだ。

 そうした〝大人の事情〟で開会式や閉会式の時間や、陸上短距離をはじめとする決勝戦を深夜時間帯の午後11時前後の時間に設定している。NBCは、次回の2024年パリ大会、28年ロサンゼルス大会の放映権を獲得している。さらに、32年のブリスベンが決まる前から獲得していた。

『黒い輪』(1992年、ヴィヴ・シムソン、アンドリュー・ジェニングズ著、光文社)

 こうした「選手ファースト」でも「観客ファースト」でもないオリンピックの病巣を知ることができるのが今回紹介する『黒い輪』(1992年、ヴィヴ・シムソン、アンドリュー・ジェニングズ著、光文社)だ。

 五輪とスポーツ界にまつわる様々な不祥事やスキャンダルを2人の英国人ジャーナリストが掘り起こし、世界中の「五輪神話」を打ち砕いた記念碑的一冊だ。92年のバルセロナ五輪の開幕直前に発表され、「平和の祭典」の美名の陰で暗躍する五輪ビジネスの醜悪な内幕を容赦なく告発した。出版から約30年が過ぎたが、残念ながら同書で指摘された五輪を取り巻く病巣はほとんど残されたままで、今読み返してもその価値は減じていない。

五輪が「儲かる大会」に変貌していく

 「本書は金メダルをめざす選手たちの話ではない。背広に身を包み、自分たちの意のままにスポーツを操る男たちの、隠された世界の話である」(同書10頁)。2人の著者は初めにこう宣言する。

 俎上に載せられたのはIOC会長や理事会メンバー、国際陸連(IAAF、現世界陸連)や国際サッカー連盟(FIFA)のトップに加え、夏冬の五輪招致を目指す各国の責任者やスポーツ関係者、スポーツ用品メーカー、広告代理店など顔ぶれは実に多彩だ。

 告発の最大の標的となったのは1980年から30年間にわたりIOCのトップに君臨したフアン・アントニオ・サマランチ(1920―2010年)だ。純粋なスポーツと平和のシンボルとして考えられてきた五輪を、カネと陰謀が飛び交う大会に生まれ変わることを容認した中心人物である。この告発本も、出身地のバルセロナで開幕する夏季五輪に合わせて出版された。

 サマランチはIOC委員として国際スポーツ界に登場する前、スペインで何をしていたのか。同書はスペインでの経歴を詳述した。注目されるのはファシスト、独裁者として国際的に批判されたフランコ総統のもとで政治的な出世を果たしてきたことだ。「サマランチはモビミエント(スペインにおけるファシズム団体)の制服である青シャツと白いミリタリージャケットを着こみ、右腕を上に挙げ、自分自身と運動に成功をもたらすために、スポーツを利用し始めた」(同書98~99頁)

 フランコ総統が75年に死亡し、反ファシストの市民運動が燃え盛ると、サマランチは77年、スペインを逃れるようにソ連(現ロシア)の大使に就任する。当時、ソ連は3年後の80年にモスクワで共産圏初の五輪開催を控えていた。すでにIOC副会長の職にあったサマランチにとって、組織委員会や東側陣営のIOC委員に顔を売る絶好の機会となり、五輪開幕前にモスクワで開かれたIOC総会で、サマランチはIOCの第7代会長に選任された。


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