2024年11月22日(金)

スポーツ名著から読む現代史

2021年8月19日

 サマランチは、従来のアマチュアリズムのため疎外されていたスポーツ関連ビジネスマンとも深いつながりを築いた。とりわけ重要なのはドイツのスポーツ用品メーカー、アディダス社の総帥、ホルスト・ダスラー(1936-1987年)との親交だった。スポーツ選手にアディダス製の靴を履かせることに情熱を燃やし、世界中を飛び回ったダスラーは、世界中のスポーツ界に人脈を広げていった。IOCの権力拡大に意欲を燃やすサマランチと、ダスラーのビジネス戦略が合致した。

 「それまで伝統的に非常勤の名誉職だったオリンピック指導者を、常勤の最高行政官に作り変えた。もともとの事務局長を解雇し、側近と官僚からなる社会を作り上げ(略)、IOC会長の座を、超然とした神同然の地位まで押し上げた」(同書99頁)と著者は指摘する。自らを皇帝とする「サマランチ王朝」の誕生だ。

 これが今回の東京大会でも進められたスポンサー偏重主義を生み出した。日本国内ほとんどの大手企業がスポンサーに募られ、スポンサーになっていなければ、大会中にブランドロゴなどを出すことができない。実際にスポンサーに配慮して、卓球の選手がブランドロゴを隠してプレーしたり、テレビ中継に映らないようにしていたりする様子が印象に残っている。これはオリンピックに限られた話ではないが、スポーツによるスポンサー主義をすべてのスポーツと国際大会に浸透させていったのは、この「サマランチ王朝」体制と言える。

 五輪が商業化に大きく舵を切ったのは84年のロサンゼルス大会からだ。76年のモントリオール五輪は地元市長の放漫運営がたたり、10億㌦もの負債を抱えた。ロサンゼルスは市や州からの公金を一切使わない民営五輪を掲げた。

 テレビ放映権を入札制にして米国3大ネットに競り合わせ、高額な放送権料を獲得したほか、1業種1社のオフィシャルスポンサーを募り、スポンサー企業に五輪マークを使った独占的な宣伝活動を認めるなど、独創的なアイデアで五輪を「儲かる大会」にした。これらの手法はサマランチ王朝がそっくり受け継いだ。

 著者は、サマランチ路線を痛烈に批判する。「ブランデージ会長は、選手や連盟が衣服に商業ロゴをつける権利を拒み続けた。ところが会長がサマランチに替わるとともに、市場が出せる最高の価格で五輪のエンブレムを売る仕事に精を出すことになった」(同書153頁、一部略)。「儲かる五輪」に世界中の都市が群がり、投票権を持つIOC委員に賄賂が横行。結果的にIOCの腐敗につながっていった。

ドーピングの魔の手も選手を襲う

 同書にはサマランチと並ぶもう一人の主役が登場する。81年に五輪のメーン競技である陸上競技のトップに就任したイタリア人、プリモ・ネビオロ(1923-1999年)だ。

 モスクワ五輪が米国はじめ西側陣営のボイコットで、五輪が「片肺大会」になると、83年に東西両陣営から陸上のトップ選手をヘルシンキに集めて第1回世界陸上選手権を開催した。サッカーのワールドカップと同じように、陸上競技の最高の大会は「五輪ではなく世界選手権である」とアピールし、テレビマネーを呼び込む仕掛けを作った。

 ヘルシンキの大会では、カール・ルイス(米国)というスーパースターが表舞台に登場し、予想を上回る成果を上げた。人類最速の記録への挑戦を映し出すテレビ映像は世界中の関心を集め、それまで「アマチュア」として金銭的な報酬に無縁だった陸上選手は、テレビ局が支払う放映権と大会スポンサーが支払う協賛金を通じて巨額な報酬を手にするようになった。

 スーパースターを目指す選手には禁止薬物の誘いが忍び寄る。ステロイドは筋肉質の体を作り上げ、記録を向上させる効果があるが、悲惨な副作用ももたらす。選手たちはなぜ危険性を承知の上でドーピングに手を染めるのか。ソウル五輪男子100㍍で世界新記録をマークしながら禁止薬物の使用が発覚、メダルをはく奪されたベン・ジョンソンと同僚のカナダの短距離選手は、著者らにこう説明した。「栄光はあまりに甘く、ドルがふんだんに手に入るからだ」(同書289頁)


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