足立倫行のプレミアムエッセイ

2021年7月31日

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 57年前の1964年10月10日、東京オリンピック開会式の日に、私は在籍していた神奈川県立多摩高校の体育館にいた。2年生の柔道部部長。自宅にカラーテレビがなかったので、休日なのに登校し、有志の部員数人(他にバスケット部員らも)と、体育館にあったカラーテレビを囲んでいた。

(oasis2me/gettyimages)

 開会式中継の終盤近くになって、外にいた誰かが「みんな急いで、校庭に出ろ!」と叫んだ。慌てて全員が校庭に跳びだした。数人が指差す空を見上げると、多摩川を挟んだ東京側、代々木の国立競技場上空あたりに白い輪が2つ、3つと描かれていた。

 航空自衛隊のブルーインパルスによる五輪マークだ。まさに、「世界中の秋晴れを集めたような、今日の東京の青空」(NHKの北出清五郎アナウンサー)を背景にした、戦後ニッポン復興の力強い象徴だった。

 カラーテレビの映像では、総天然色映画を見ているようで今一つピンとこなかったが、目の前で描かれる巨大な白い煙の輪は、「世紀の祭典」が手を伸ばせば届く、地続きの場で同時進行中であることを実感させた。

 以来、閉幕の24日まで、私はオリンピックのテレビ中継に釘付けになった。振り返ると、私の生涯で、私がスポーツに本当に熱中したのはその1年、1964年のみなのだ(そんな経緯があるせいで、57年後の現在、コロナ禍の五輪開催には反対の立場だったのに、テレビ中継だけは見続けている)。

 開校7年目の新しい県立高校、川崎市の多摩高校に私が入学し、最初に入部したのは体操部だった。東京オリンピックを控えて体操が注目されていた。小野喬や遠藤幸雄が国内外で活躍し、カッコよさに私も憧れたのだ。

 だが、私はもともと運動神経が鈍かった。走るのは遅く、ボール競技はすべてダメ。かろうじて人並みなのは相撲と水泳程度。それでは余りに情けないので、脱皮を試みたかった。けれど、才能の無さはすぐにわかった。基本の宙返りが前方も後方もできないのだ。仕方なく、「一点突破」で鉄棒に取り組んだ。

 そして、事故が起きた。やっと逆手車輪を覚えた私は、4月末の体格測定の時、体育館の隅にあった鉄棒で練習しようと跳びついた。グルグル回って手が滑り、頭から落ちた。救急車で病院に運ばれたのだが、記憶にない。激しい脳震盪で前後の記憶が消失し、3日間自宅で安静にしてから再登校した。

 結果、退部である。その後約1年は大人しく過ごした。でも、何かやりたかった。体操部に居場所のなかった私にもできそうなスポーツとしては、中学時代に1年少々入部していた柔道が頭に浮かんだ。

 2年生の4月の生徒会で、「我が校には剣道部があるのに、なぜ柔道部がないのか?」と発言した。するとある3年生が、「欲しければ自分で作ればいいじゃないか」と答えた。それはそうだ。そこで同級生で多少柔道経験のある者に声をかけ、口コミで上級生、下級生にも広げ、人数を集めた。顧問は英語の教師。十数人の部員は全員白帯で、部長がいない。いないと創部できないため、「言い出しっぺ」の私が白帯ながら部長に就いた。

 問題は練習場だ。学校に尋ねると、体育館に畳が届くのは早くても7月初旬、それまではもっぱら校庭での筋トレやランニングである。各自、自宅近隣の道場で週末稽古を重ねることにして、私も頻繁に道場通いを始めた。

 今回のオリンピックで、女子70キロ級柔道の準決勝において、日本の新井千鶴がロシアのタイマゾワを送り襟締めで破った。タイマゾワは自らの道着の襟で首を絞められ失神、しばらく起き上がれなかったので、見ていて「大丈夫か?」と思った人も多いだろう。

 私も道場通いの時、試合形式で対戦した相手を送り襟締めで失神させたことがあった。相手は白目を剝き、硬直した体をガタガタ震えさせた。私は以前教わった通りに技をかけただけなので、驚いて立ち尽くした。審判がすぐに対処し、10秒ほどで元に戻した。

 オリンピックの競技が誘発したもう一つの思い出が、ヘーシンクの袈裟固めである。柔道無差別級の優勝候補だった神永昭夫をオランダの巨人ヘーシンクが破った決勝戦は、57年前の東京五輪のハイライトの一つとされる。抑え込みによる(予想外の)完勝もそうだが、歓喜のあまり畳の上に駆け上がろうとしたオランダ人関係者を、抑え込み姿勢のまま手で制したヘーシンク。その沈着冷静な(礼に始まり礼に終わる日本柔道の精神そのままの?)態度に、称賛が集中したのだ。

 だが私は、下になった神永がまったく身動きできなかった寝技の袈裟固めに思いが向かった。高2で通っていた町道場の一つに、道場の娘さんが時折道着を着て出てくる道場があった。彼女は私と同年輩の白帯だった。通常は小学生クラスの子どもたちと練習するが、たまに中学生や高校生(大半が男子)と組み合うことがある。もちろんこちらから申し出ることはできない。彼女の方が一方的に指名するのだ。

 私も何回か指名された。で、何かの拍子に2度ほど寝技にもつれ込んだことがあった。初歩的な袈裟固めで攻める。彼女が起き上がろうと動き、私がそれを防ごうと、彼女の顔の横に自分の顔を寄せる。すると、とてもいい匂いがしたのを今でも鮮明に覚えている。しかし、彼女と対戦する機会は、その後なく、やがて体育館に30畳ほどの畳が届いて、私は町道場通いを完全に辞めてしまった。

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