新型コロナウイルス禍のなかでの東京オリンピックは開幕から盛り上がりを見せ、大会前の不安を払拭するようなアスリートの活躍が連日報道されている。一方でアメリカNBCにおけるオリンピック視聴率は低下、アスリートの帰国後も含めた感染症対策は最後まで予断を許さず、大会全体の評価はまさにこれからが正念場となる。
東京オリンピック大会組織委員会を中心に最重要な視点として挙げられている一つが「オリンピック・レガシー」がある。宣教師を意味する「レガタス」を語源とする言葉「レガシー」は、バンクーバー冬季五輪以降その議論が盛んに交わされるようになり、近年では大会を通じて世界各地に残す開催国への長期にわたる影響を、「未来への遺産」として開催前から計画的に策定している。
東京オリンピック・パラリンピックにおいても「アクション&レガシープラン」が公表されており、その内容は多岐にわたる。組織委員会HPを見ても「大会後のフォロー体制も含め、後に『レガシーレポート』として取りまとめていく」としており、新型コロナ禍での大会開催はスポーツ・レガシーとして国内外に残されていくものと考えられる。
一方で、新型コロナ感染拡大前から課題として挙げられ、感染拡大とともにいつの間にか棚上げされてしまったレガシーの議論がある。新国立競技場である。2012年の新国立競技場基本構想国際デザイン競技から始まる新国立競技場建設は、その後の白紙撤回からの再コンペなど建設プロジェクトとして混乱を極め、後手にまわる対応の中、関係者の並々ならない努力もあり完成を迎えたが、そのツケは大会後の後利用が全くもって進んでいないという形で残されてしまっている。
我が国の代表的陸上競技場として残せば良いではないかとの議論はサブトラック(補助競技場)の不在によりまず除外されている。そもそも陸上の公認競技場として要件を満たしていないのである。ではトラックの内側であるインフィールドを使用した球技場としてはどうか、との議論もあるが、現在の陸上トラックのうえに改修工事で観客席を設けた場合、緩やかな勾配のスタンドとなってサッカーやラグビーの観戦環境としては臨場感が乏しい施設になるだろう。そもそも2階以上の観客席はインフィールドから遠く離れた現在の位置から近づける改修は難しく、中途半端な施設になりかねないのが実状である。アスリートファーストに立ったスタジアムであることは重々わかるのであるが、のちのちどのようにでも利用できるように計画された膨大な床面積による巨大施設は、将来の利用に対して多目的というより無目的な施設となってしまった。
建物そのものだけでなく、その運用についても不透明だ。萩生田光一文部科学大臣が「大会警備の都合で詳細な図面を民間事業者に示せない」としており、競技場を管理・運営する日本スポーツ振興センターが6月18日にようやく「国立競技場の運営管理に係る民間事業化に向けたアドバイザリー業務の委託」の企画競争の公告をした状態だ。
周辺施設も含めた神宮外苑全体で見てみると、秩父宮ラグビー場を屋内型のラグビー場にして、コンサートはじめエンターテインメントも開催できるものとして改修しながら、神宮球場・第二球場の位置と置き換えるといった外苑敷地全体に係わるような計画構想が先行して進んでいる。かつて旧国立競技場に隣接していた日本青年館は移転を経て新日本青年館として稼働をはじめている。神宮外苑アイススケート場の隣り合わせにホテルが完成するなど神宮外苑エリア全体で再編が進む中、新国立競技場だけがオリンピック・パラリンピック以降の姿が見えていない。まさに全体図は描けているのに肝心カナメが決められていない画竜点睛を欠く状況となっている。
過去の夏季五輪のメインスタジアムを見ると、スポーツスタジアムという単一の用途では運営が苦しくなっている。ロンドン大会では5~10年を見越して世界的なスポーツイベントを招致していたが、構造の変更や運営コストを垂れ流してしまっている。当初計画から予定していたホームチームも決定に至るいざこざのなかで改修工事そのものが遅れてしまった経緯もある。北京大会のメインスタジアム「鳥の巣」も隣接する水泳場「水立法」も運営には苦慮している。水泳場は競泳場を割り切ってウォーターパークとするなど一般利用にも活路を見出しているが、維持費は割高で公園内に廃墟化している施設も少なくない。