災禍で史上初の延期となった東京五輪だが、大舞台はすでに整っている。昨年11月、大会のメイン会場となる新国立競技場が神宮の緑の杜(もり)に抱かれ産声を上げた。
「日本の伝統建築の中には縁側を設けたり、庇(ひさし)で影を作ったりと自然とうまくつきあう手法がある。それを生かした日本らしい木と緑を意識した」
設計管理技術に携わった大成建設設計本部の川野久雄部長が大役を終え、その〝仕掛け〟を語る。スタジアムの外周に温かみのある質感のスギの軒(のき)庇を設け、柔らかな陰影が神宮の杜に溶け込んでいる。ただ、これらはデザイン効果を求めただけのものではなかった。
五輪開催時の灼熱(しゃくねつ)と化す真夏の東京への暑さ対策にも繋(つな)がっている。「南東から吹く卓越風を上層スタンドに施した『風の大庇』に当ててスタジアム内に取り込み、日射によって発生する上昇気流を利用してフィールド内にこもる熱や湿気を逃がしてくれる」という仕組みだが、「スタジアムは基本的に風のことを考えて設計される」そうだ。
たとえば、芝のピッチは蒸れると柔らかくなるので、コンディションを保つためにも風通しが考慮されている。風の大庇は季節に応じて吹きやすい風の方向によって開口密度を変えている。夏はスタジアム内に風を取り込み、冬は風をスタジアムに入れず上に抜けさせる。
風のない時は観客席上部に設置された「気流創出ファン」を稼働させ、快適な観戦環境が得られるという。またスタンド外周を取り巻く軒庇には散水パイプが配され、貯水された雨を流して蒸散化を図り、気化熱を奪うことで人が集まるコンコースの輻射熱(ふくしゃねつ)が抑えられるのだ。いわば、日本伝統の「打ち水」である。
そもそもスタジアムは屋外競技場であり、アスリートも観客もエアコンのない外気温の下での競技であり観戦になる。スタジアム内は外気温より下がることはないので、いかに東京の暑さに気を揉むことなく競技に集中できるかが観戦環境のポイントである。上記の他にも、大きな屋根は観客を強い陽射しから守る「日傘」の役割で、競技中、圧倒的に陽が当る面積を少なくしている。
熱い戦いを繰り広げる競技観戦から離れ、神宮の杜を見渡すフリースペースに場所を移すと、そこにはあたかも自然に造られた日本庭園が広がっている。軒庇の下に設けられた「縁側」から望む先の緑や自然の借景に癒される。自然な風の流れも取り入れられ、自然の暑さと競技の熱さを一時忘れさせてくれる時間であり空間でもある。
「庇」「縁側」「打ち水」等、まさに日本の伝統が活かされた細工が生かされたスタジアムだ。「アスリートも木の温(ぬく)もりや優しさ、緑に木漏れ日を感じながら平常心で競技に臨んでもらえるのではないか」と川野氏は期待する。