2024年12月22日(日)

Wedge REPORT

2020年3月24日

 新型コロナ・ウィルスによる影響で、7月の東京オリンピック・パラリンピックの延期の公算が濃厚になってきた。中止の可能性も一部でささやかれている。

 日本は過去、五輪開催を2回返上、今回中止となれば、かつてない「五輪を3度も返上した国」になってしまう。

 3回目? 戦前の東京大会に続いて2回目ではないのかーー。

 東京と同じ年に、札幌で冬季大会の開催が予定され、これが同様に中止になっていたことはあまり知られていない。

 麻生太郎副総理兼財務相は、五輪では40年ごとに問題が起きたとして、東京大会を「呪われた大会」と表現したが、麻生氏らしい無神経さはともかく、返上やボイコットなど不本意な形での大会は、過去をみると決して稀ではない。

(BalkansCat/gettyimages)

東京と札幌五輪〝同時返上〟

 麻生氏は3月18日の参院財政金融委員会で、「札幌でウィンター・オリンピックが開かれることになったのが1940年。それがパーになった」と述べた。麻生氏の発言を聞いて初めて、1940年の札幌五輪の中止を知った方も少なくないだろう。  

 当時の冬季五輪は夏季五輪の開催国に優先権があった。日本国内から札幌のほか、長野、新潟が名乗りをあげ、海外からも不利を承知でノルウェー、カナダも誘致合戦に加わった。

 札幌市公文書館によると、札幌は大倉山シャンツェが国際スキー連盟の公認を受けたことなどが決め手になって誘致に成功した。

 北海道は観光道路整備など開催準備を急いだが、1938(昭和13)年7月、東京大会の中止決定をうけて、こちらもほぼ自動的に返上が決まった。誘致決定は1936(昭和11)年9月だから、わずか2年足らずのオリンピックの夢だった。

 そんなわけでもあるまいが、当時作成させたポスターが「OLIMPIC」(本当はOLYMPIC)とつづりを誤っていたエピソードも不運を象徴しているかのようだ。

 札幌五輪の開催はそれから32年後、1972(昭和47年)まで待たなければならなかった。

 1940(昭和15)年の東京五輪中止の経緯については、昨年のNHK大河ドラマ「いだたん」で、阿部サダヲ扮する主人公、田畑政治が無念の涙を呑むくだりを観て理解された方も少なくないだろう。

 日中戦争の激化に伴い、関連施設建設の資材にも事欠いたことや軍が反対したこともあって、やむなく返上が決まった。


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