Wedge REPORT

2020年3月24日

»著者プロフィール
閉じる

樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

環境破壊反対で返上したデンバー

 戦争など混乱に関係なく、平時の時に中止に追い込まれたケースもある。1976(昭和51)年に予定されていた米コロラド州のデンバー五輪だ。

 この年はアメリカ建国200年の記念すべき年であり、五輪開催の舞台装置は申し分なかった。しかし、思わぬところから開催反対の声が上がった。巨額の費用、会場整備による環境破壊への州、デンバー市民の懸念だった。スキーなど一部競技がデンバーから離れた会場で開かれる不便さにも不満が強まった。

 こうした反対を受けてコロラド州での住民投票が行われ、反対が多数を占めて開催返上が決まった。

 突然の返上、しかも平時の開催中止は前例がなかったが、IOC(国際オリンピック委員会)はやむなく、1964(昭和39)年2月に開催して競技施設やノウハウが残っているインスブルック(オーストリア)で代替え開催することを急遽決めた。64年は、10月に東京で初めてのオリンピックが開かれたあの年である。

 デンバー五輪の挫折は、お祭り騒ぎの五輪がもはや必ずしも熱狂的な開催国の国民から支持を受けるものではないことを示した。

 このほかの中止、返上の例としては第2次大戦さ中、1944(昭和19)年の夏季ロンドン大会、同年の冬季、イタリアのコルチナ・ダンペッツオ大会がある。戦争末期の激戦時とあっては五輪開催の余裕がなかったことは容易に想像がつく。ロンドン五輪は1948(昭和23)年、戦後初の大会に繰り越されたが、ロンドン五輪は、次の開催年までの〝延期〟といっていいだろう。

 日本はこの大会に参加を認められなかったが、日本水連は五輪と同じ日程で日本選手権を開き、1500m自由形で〝フジヤマのトビウオ〟、古橋広之進が五輪優勝者より早い世界新記録を出した。この快挙は、「いだてん」の大詰めの見せ場だった。

 中止を余儀なくされたコルチナ五輪は待つこと12年、1956(昭和31)年にようやく実現した。ちなみにこの大会の男子スキー回転で、猪谷千春選手が冬季五輪としては日本人初めて銀メダルを獲得した

 次回への繰り越しと12年後の開催ーー。スポーツにおいても戦勝国と敗戦国の明暗を示している。

関連記事

新着記事

»もっと見る