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2021年8月5日

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佐々木正明 (ささき・まさあき)

ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

1971年岩手県生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)卒業後、産経新聞社に入社、大阪社会部、モスクワ支局長、リオデジャネイロ支局長、運動部次長、社会部次長を歴任。特派員として五輪・パラリンピックやサッカーW杯を取材した。2021年春から現職。著書に『恐怖の環境テロリスト』(新潮新書)、『シー・シェパードの正体』(扶桑社新書)。

 ベラルーシにとって東京五輪はスポーツの祭典ではなく、自国の非民主主義的な政治情勢を世界に示す大会になったようだ。陸上競技に出場していた同国女子代表選手のクリスツィナ・ツィマノウスカヤさんが起用法をめぐりコーチ陣と対立し、ポーランドへの亡命を果たした問題は、「欧州最後の独裁者」と言われるルカシェンコ大統領が主導する反体制派への弾圧の実態を浮き彫りにした。ツィマノウスカヤさんは昨夏の大統領選への不正を訴え、国中で抗議デモが湧き上がった際に支持を表明。国内では大統領側近から「裏切者」と糾弾する動きが出ており、身の危険を感じた将来有望な24歳が国を捨てることになった。

 東京を去る直前、ツィマノウスカヤさん自身が独大衆紙ビルトの取材に対して「このような政治的スキャンダルにまで発展することを想定していなかった」と語ったように、もし彼女が起用法をめぐって、コーチ陣への非難をインスタグラムでメッセージを流していなければ、これほどまでの展開にはなっていなかっただろう。

亡命のため羽田空港で警察へ保護を求めるベラルーシ女子代表選手のツィマノウスカヤさん(ロイター/アフロ)

ルカシェンコは成績不振に不満

 昨今、SNS上でのインフルエンサーの発言は軋轢を大きくする。世界中が注目する五輪という晴れの舞台でコーチ陣と選手のゴタゴタは内部のミーティングで十分に話し合って和解すればいいはずだ。決して彼女の行動を諫めるわけではないが、公衆の面前のようなSNS上で、外部に一方的に不満を訴えるのは、国を代表するアスリートの解決手段として好ましいとは言えないだろう。コーチ陣も選手へのリスペクトがなく、手法が強引すぎた。

 しかし、ツィマノウスカヤさんには自らの競技環境を国際社会に訴えるだけの事情があった。ベラルーシ国内でのルカシェンコ支持派の糾弾が高まる中で、コーチ陣が無理矢理、彼女を帰国させようとする強硬手段に打って出なければ、ここまで国際問題化することはなかったことは確かだからだ。

 ルカシェンコ大統領は長男をベラルーシ・オリンピック委員会のトップに就かせているように、スポーツを国威発揚の手段に用いている。それだけに、五輪前半戦でベラルーシ選手団の成績不振ぶりには「他のどの国よりもスポーツに出資しているのにこの結果は何だ?」と不満を示していた。硬直した政治体制の中で、政府のスポーツ役人たちがその発言に忖度し、ツィマノウスカヤさんをスケープゴートにしようと、強制帰還を東京のコーチ陣に命令したことが推察できる。

 東京大会のベラルーシ事案は、メダル争いの枠外の話になるが、2021年のスポーツと政治情勢を反映する現代史に刻まれるに違いない。問題を深掘りするため、ここで少し今回の騒動の事実関係を振り返りたい。

 ツィマノウスカヤさんは短距離の選手だった。東京大会への出場権を勝ち得た彼女は100メートルと200メートルに出場予定で、7月30日の最初の種目100メートルは記録が出せず予選敗退。8月2日の200メートル予選への準備を進めていたが、ここでコーチ陣から5日に予選が予定されていた、これまで練習したことのない4×400メートルリレーへの強制的な参加を指示される。

 ツィマノウスカヤさんは30日の夜、自身のインスタグラムに「上に立つ人たちは、私たちアスリートに敬意を払い、時には私たちの意見を聞く必要もあると思う」と書き込み、強制的なリレー参加への不満をあらわにした。

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