2026年3月8日(日)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2026年3月8日

 大河ドラマ『豊臣兄弟」で、秀吉・秀長の父の仇として憎々しく粗暴なキャラで強烈な印象を与えた城戸小左衛門。彼は実在の人物で、尾張愛知郡古井(こい)村、現在でいうと名古屋市内JR千種駅のすぐ近くの住人だった。

NHK番組ホームページより

 幕末のものではあるが、『尾張志』には名前が城戸内蔵助となっており、今川家に仕え、後に信長の次男・信雄に仕えてそのまま古井村在、1300貫の知行を給されていたとある。この古井村、江戸時代ですら1400石余りの取れ高の土地だから、本当に1300貫=2600石だとすれば、古井村以外にも領地があったのかもしれないが、本当なら前回『「豊臣兄弟」の“初任給”はいくらだったか?秀吉の30貫文と秀長の200文の価値と相場とは』で話題にした豊臣兄弟の出身地・上中村の倍ほどの実入りがある。なかなかに豊かな土地だ。

大河ドラマ『豊臣兄弟』内での城戸小左衛門(NHK番組ホームページより)

 そこの名族という事なので、まずドラマの様な〝戦国ジャイアン〟でもなければ秀吉・秀長兄弟の父・弥右衛門の手柄を奪う様な真似をせずとも社会的地位のある「親ガチャ」成功組と言って良い。

 そして古井村の位置からして今川義元の家来だったとは考えづらく、逆に名古屋(当時は那古野)に近いことを勘案すれば、今川那古野氏の氏豊に属していたと推測できる。

 今川那古野氏は今川本家から早くに分かれた親戚で、氏豊さんは同じく今川庶流(異説あり)から親戚である今川那古野氏に養子入りしたという。

 であれば、今川那古野氏は天文7年(1538年)に信長の父・信秀によって城を奪われ逃亡しているので、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの時点ですでに22年経過している。今川那古野氏滅亡後にそのまま信秀に転仕しであろう小左衛門は、どう若く見積もってもアラフォーであって、槍の名手として信長から顕彰されても、ドラマの様な勝手放題の暴れん坊武者という風情ではなかっただろう。さらに20年以上経ってお爺さんになっても本拠地で高禄を食(は)んでいることを思えば、庶政や人付き合いにも長けた人格者だったに違いない。


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