2026年5月17日(日)

造船立国ニッポンへ

2026年5月17日

 『戦艦大和誕生』(上下巻、草思社文庫)、『世界制覇』(上下巻、講談社)。この2冊は、戦艦「大和」の建造責任者である造船技術士官の西島亮二大佐と、戦後、石川島播磨重工やNTTの社長を務めた真藤恒を中心に戦中戦後の日本造船産業史が丹念に綴られた大作だ。西島と真藤は師弟関係にあった。著者でノンフィクション作家の前間孝則氏に話を聞いた。
 「Wedge」2026年5月号に掲載されている「造船立国ニッポンへ 「復活の号砲」を鳴らせ」記事の内容を一部、限定公開いたします。
世界制覇
前間孝則 講談社
(※)『戦艦大和の遺産』(上下巻)と改題され講談社+α文庫から発刊

 戦艦「大和」といえば、46センチ砲をはじめとした兵器技術や巨大さが注目されがちです。ただ、それは突然できたわけではなく、技術的な積み重ねがあったからです。「海軍造船に西島あり」と呼ばれていた西島亮二技術大佐は、近代的な生産管理法の生みの親でした。材料、金物の標準化、統一化、〝西島カーブ〟と呼ばれた効率化を図るための工数管理など、独自の発想で試行錯誤を行っていました。これは現在の「トヨタ生産方式」、つまり、「ジャスト・イン・タイム」の源流だと言っても過言ではありません。

 造船業は明治維新以降、日本の近代化の起点の一つであり、総合技術の塊です。製鋼、ボイラー、蒸気タービンなど、様々な要素を積み上げて一隻の船ができます。その技術的な高まりの頂点が戦艦「大和」の建造だったわけです。

 太平洋戦争開戦後、当時の播磨造船から海軍に派遣され、西島のかばん持ちをしたのが、真藤恒でした。その際、西島から生産管理を学び、戦後は呉工廠を借り受けた、米国の海運・造船企業のNBC(ナショナル・バルク・キャリアーズ)のオーナーで「スーパータンカーの父」と呼ばれたダニエル・ラドウィックから徹底した合理化を叩き込まれ、1956(昭和31)年に、早くも日本が建造量で世界一となる原動力にもなりました。世界に船を販売するという点でグローバル化の先駆けであり、当時の日本が外貨を稼ぐ貴重な収入源にもなりました。

 呉工廠では、人材の育成という点でも突出していました。

※こちらの記事の全文は「Wedge」2026年5月号に掲載されている「造船立国ニッポンへ 「復活の号砲」を鳴らせ」で見ることができます。

Facebookでフォロー Xでフォロー メルマガに登録
▲「Wedge ONLINE」の新着記事などをお届けしています。

新着記事

»もっと見る