2026年5月17日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2026年5月17日

再三の全国的反政府運動にも関わらず持続しているイスラム共和国体制

イランの最高峰ダマバンド山は海抜5610メートルの活火山。富士山 のようにイランのシンボルである。カスピ海から望む雄姿は北斎や広重の浮世絵のよう である

 2009年には大統領選挙での不正を糾弾するデモから全国に拡大したグリーン運動。2022年にはヘジャブ着用規定違反で女性が宗教警察に拘束され死亡したことから全国的騒乱へ。そして2025年末には物価高への抗議運動から始まり、2026年初頭には全国的反政府運動に拡大。3万人が死亡したとも云われる天安門事件級の事件である。

 こうした激しい全国的デモが再三勃発していることを考えると、筆者が一昔前に見聞した“イランの日常生活”(本編第1回ご参照『抑圧された日常生活“イスラム体制国家イラン”は持続可能か』)が現在でもほとんど変わっていないと思われる。

 そして国内に不満のマグマを抱えながらも、イスラム共和国体制が倒れないのはなぜだろうか。イランは総人口8900万人という中東一の人口大国であるが、国内の体制を支える勢力と反体制勢力について考えてみたい。

市民の監視と反体制運動弾圧を担う革命防衛隊と傘下の民兵組織

 メディアで紹介されているように革命防衛隊は国家の中の国家である。前最高指導者ハメネイ師亡き後は、革命防衛隊がイラン政府の舵取りをしている。革命防衛隊の傘下にはさらに百万人超とも云われる巨大民兵組織(バスィージ)がある。

 民兵の大半は市民ボランティアである。彼らはフツウの市民であり、平時は制服を着ていないので、外見上は民兵とは分からない。民兵組織の活動は多岐にわたり、イラン社会の隅々にまでネットワークが張り巡らされている。

 民兵にシンパや協力者を含めると500万人ともいわれ、選挙ではイスラム保守派候補を支援する集票マシーンとなる。

 革命防衛隊と民兵組織は治安維持、市民の監視、反体制運動弾圧、イスラム教の教宣活動を担っている。民兵組織ネットワークが“監視と密告の社会”を作り上げている。

イスラム革命後に米国に亡命した特権階級と富裕層

 1979年2月のイスラム革命により、王族はじめ数十万人の富裕層は米国へ亡命した。現在米国に暮らすイラン人は75万人、半数がカリフォルニアに在住。テヘランで筆者が通った歯科医院のオーナーもカリフォルニア在住で、ペブルビーチ・ゴルフクラブの会員だった。筆者が駐在していたテヘラン事務所ではテニスコート、プール、サウナ付きの豪邸をゲストハウスとして借りていた。オーナー夫妻はやはりカリフォルニア在住だった。

 こうした米国在住イラン人はイスラム共和国体制の転覆を望んでおりトランプのイラン攻撃を支持している。

イスラム革命体制に絶望して移住・亡命する人々

駐在員事務所の筆者のデスク。プロジェクト・チームの3人の秘書の内 1人は米国へ、もう1人はドイツへ亡命した。彼女達3人は今幸せだろうか

 イランでは1925年からイスラム革命(79年)まで、パーレビ王朝の近代化世俗化政策により都市部を中心に欧米的生活様式が広がった。往時テヘランが“中東のパリ”と称された由縁である。欧米的な自由な生活に馴染んだ人々は厳格なイスラム的生活を嫌悪した。

 1989年から10年の間に筆者の仕事の直接の関係者だけでも、10人以上がイスラム共和国体制を見限って海外に移住・亡命した。例えば2人の石油技術者は米国に亡命して米国の石油会社に職を得た。国営公社の役人はゾロアスター教徒であることから差別されており、オーストラリアへ家族と移住した。

 テヘラン事務所の筆者の秘書Aはヘジャブから髪が出ていると宗教警察に拘束され、鞭打ちの罰を受けた半年後に米国の親類を頼って亡命。秘書Bは婚約者が先にドイツに亡命しており、職を得て落ち着いたのでBもドイツに亡命。秘書Cも同様の事情でオランダへ亡命した。

 欧州で最も多くイラン人亡命者を受け容れたドイツには2019年時点で24万人のイラン系市民がいる。こうした欧州在住のイラン人は反政府運動の支援者である。

ネットで連帯する反政府運動に参加・共鳴する人々

 昨年末から今年初頭のイランのデモをTVニュースで見る限りやはり若者が多い。1990年代のデモでは学生が中心であったが、現在の反政府運動もやはり学生が中核のようだ。報道によると学生以外に失業青年など都市部の不満を抱える若者層が集まっているらしい。

 反政府運動を推進する母体となる全国的横断的組織はなく、ネットでの呼びかけに賛同して当日現場に集まっているようだ。

イランの小学校の子供たちと教師。戦闘服姿の教員もいる。3人とも敬虔なイスラム教徒でイラク戦争に義勇兵として従軍した。子どもたちは「おしん」の国である日本に興味津々だった。子どもたちはどんな大人になったのだろうか

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