橋場日月の戦国武将のマネー術
合戦をするにも先立つものはお金。腕っ節だけじゃ戦国時代の覇者にはなれない。戦国武将たちの経営者や投資家としての側面を紹介していきます。
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2024/09/08 橋場日月
江戸幕府政体は250年の長きにわたり、戦後の民主主義体制もまだ80年に満たないことを考えると、徳川家康は長期政権を作ったといえる。今回は、〝もしも家康が現代で総理大臣になろうとすればどう動くか〟をマネー術流で考察してみよう。
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家康のどうしたマネー遍歴⑩
2024/07/15 橋場日月家康が天下を取ってもなお大坂城の豊臣家は健在で、一部の大名は豊臣家に指図を仰ぐ例すらあった。その源泉は秀吉が秀頼に遺した莫大な金銀である。家康はどうこの財力を負かしていったのか。
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家康のどうしたマネー遍歴⑨
2024/05/21 橋場日月本能寺の変から豊臣秀吉の天下統一、関ヶ原の戦い、大坂の陣と大きく時代が動いた時、家康のマネー事情はどうなっていたのか。秀吉から天下を奪えたのは、朱印船貿易という事業がカギを握っていた。
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家康のどうしたマネー遍歴⑧
2024/03/12 橋場日月長篠の戦いの後で、徳川家康は「奇特と御感なされ候」と信長から大絶賛された。それは合戦の手柄ではない。信長凱旋ツアーの仕切り役としての評価だった。
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家康のどうしたマネー遍歴⑦
2023/12/27 橋場日月三方ヶ原の戦いの後、徳川領は大激震に見舞われる。家臣の大岡弥四郎ほか数名が勝頼に通じ、家康の長男で岡崎城主の信康が出陣する隙を狙って武田軍を岡崎城に引き入れようと企んだことが発覚したのだ。これはなぜ、起きたのか。
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2023/10/15 橋場日月
三河一向一揆、伊賀越えとともに「家康三大危機」のひとつに挙げられる三方ヶ原の戦い。武田信玄によって木っ端微塵に撃破され、命からがら浜松城に逃げ帰ったという時点ですでに「大危機」だが、この合戦で家康はそれ以上の危険な状態に陥っていた。
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家康のどうしたマネー遍歴⑤
2023/08/27 橋場日月家康は一旦敵に回した相手は息の根を止めるまで手を緩めず痛めつけるが、一方で上の立場の者には徹底的に腰が低い面も持ち合わせている。信長に追従し続けていた形だったが、そこには大きなマネーを狙った計算もあったようだ。
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家康のどうしたマネー遍歴④
2023/08/08 橋場日月そもそも皆さんは家康ってどういうキャラだと思っておいでだろうか? 有名なのは「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の句で、なんとなくいつの間にか言うことを聞かせるのが得意という印象を与えられる。だが、である。しかし、である。
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家康のどうしたマネー遍歴③
2023/05/28 橋場日月徳川家康の家臣たちの経済パワーはどれほどだったのか。その検証と、家康が今川家から独立した後の一大危機「三河一向一揆」をマネーの側面から見ていきたい。
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家康のどうしたマネー遍歴②
2023/04/02 橋場日月大河ドラマ『どうする家康』の家臣たちは、セピアがかった画調のせいか、地味目の衣装のせいか、あまり映えない風体と言っては口が過ぎるだろうか。今回は情報整理を兼ねて家臣についてプアーだったのかリッチだったのかをマネー術的に考察していこう。
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家康のどうしたマネー遍歴①
2023/02/26 橋場日月戦国時代から天下泰平の世を作り出した徳川家康。2023年は大河ドラマ「どうする家康」が放映されるのに合わせ、生涯の中でマネーとの関わり深いハイライトを随時ピックアップしていく。まずは人質となった幼少期から。
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茶道マネーのエトセトラ⑪
2023/01/15 橋場日月秀吉による織田信長葬儀をプロデュースに関与し、権力とマネーを掌握していった千利休だが、その歩みに陰りが見え始めていく。それとともに、茶の湯の流行も変わっていき、死へと追いやられていく。
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茶道マネーのエトセトラ⑩
2022/12/11 橋場日月本能寺の変による信長の突然の死に対し、秀吉は葬儀を何が何でも実行し一番の実力者であることを誇示しようとした。そして、この葬儀プロジェクトに千利休も深く関わっていた。
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茶道マネーのエトセトラ⑨
2022/11/01 橋場日月天王寺砦で茶湯三昧に耽った末に追放された佐久間信栄。そこから織田家臣団は完全実力至上主義へと旧態を一新した。その主役は、もちろん実力だけでのしあがった羽柴秀吉とタッグを組む千利休だ。
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茶道マネーのエトセトラ⑧
2022/09/29 橋場日月織田信長の重臣で、40万石を知行したと推定できる佐久間信盛とその子で茶湯の才能を信長にもアピールしまくっていた信栄。しかし、茶湯に熱中しすぎて、その地位を危うくさせてしまった。
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茶道マネーのエトセトラ⑦
2022/08/10 橋場日月〝天下一〟茶人として、はたまた資金運用のプロフェッショナルとして趣味とマネー両面で君臨するようになった千利休。信長は茶器や茶会を人心掌握に活用するようになり、公私ともに支えた。
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茶道マネーのエトセトラ⑥
2022/07/09 橋場日月茶湯に大金を投じ、徐々に堺衆のトップ集団に追いつき、「天下一」となった千利休。その権勢の拡大の裏には、資産運用力もあったようだ。
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茶道マネーのエトセトラ⑤
2022/06/09 橋場日月千利休が茶湯の修行を始めたのは17歳のとき。すでに高価な茶器に手を出し、消費しまくる生活をしていた。それは、利休がビックマネーの中にいたからできた。
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茶道マネーのエトセトラ④
2022/05/28 橋場日月豪商茶人・今井宗久から茶道具熱に火を付けられた信長は、京で「名物狩り」を実行して名物茶器を次々と買い上げた。その茶道具執心は常軌を逸していた。そのさまたるや、まさに「ルール無用のアウトロー」。
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茶道マネーのエトセトラ③
2022/03/24 橋場日月権力拡大とともに茶器の〝押し買い〟をおこなってきた織田信長だが、茶器を売った側の今井宗久にも、深~い事情があった。
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