前回の本連載「家康のお値段、5000万円?年商はいくらだったのか」では、家康の譜代重臣の内の長老格、鳥居忠吉が登場した。蔵に岡崎の年貢からちょろまかしたお金を貯め込んでいて、若殿・家康に「いざという時はこの金をお使い下され」と語り、ふたりで泣き崩れるという逸話にはこちらの涙腺も崩壊する。だって日本人なんだもの。
だが、ここで筆者のイケズぶりが発揮される。イケズな目がこの「蔵」に引っかかったのだ。
それは、この蔵が忠吉の屋敷の蔵だった、という点。岡崎城の蔵だとすると今川家から派遣されて来た城代とその部下たちの目に蔵の出納が監視されるし、抜き打ち検査や棚卸しも行われる可能性もあるから、岡崎の年貢管理をおこなう忠吉が自分の屋敷の蔵にへそくっていたというのは如何にも有りそうなことなのだ。逆にそのへそくりは一歩間違えばそのまま自分のポケットにナイナイする横領? 特別背任? にもなり得たわけだ。
忠吉本人に悪気は無くても、機密が漏洩しないようこのへそくりの存在を知る者は極々わずかしかいなかっただろうし、老齢の忠吉がポックリ逝くようなことがあれば文字どおりそのまま鳥居家の財産になってしまうことだってあったかも知れない。さらに言えば、忠吉が最初からそれを狙ってへそくっていたものを、訪問して来た家康に偶然見つけられて咄嗟に言い訳したものが後世に美談として伝わったという裏ストーリーの可能性まで無かったわけじゃない、とまで言ったらもはや妄想の領域か。でもまぁ、学者ではない歴史好きの醍醐味はそういうところにあるのかも知れない。
ところで、大河ドラマ『どうする家康』では、鳥居忠吉は言うに及ばず酒井忠次、石川数正、大久保忠世、本多忠勝、榊原康政、本多正信、服部半蔵(正成)が既に登場している。しているのだが、何というかセピアがかった画調のせいか、はたまた地味目の衣装のせいか、少しホコリや泥にまみれた感じにも見えてあまり映(ば)えない風体と言っては口が過ぎるだろうか。でも、特に大久保忠世なんかは擦れてくたびれきった感じの手拭いを首に巻いて、ちょっと気の毒な感じすらしてしまう。
そこで、今回はまず情報整理を兼ねてこの「家康殿の七人」のメンバーについてプアーだったのかリッチだったのか、本当のところをマネー術的に考察していこう。