2023年3月23日(木)

徳川家康から学ぶ「忍耐力」

2023年1月29日

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城島明彦 (じょうじま・ あきひこ)

作家

昭和21年三重県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。東宝を経て、ソニー勤務時に「けさらんぱさらん」でオール讀物新人賞を受賞し、作家となる。『ソニー燃ゆ』『ソニーを踏み台にした男たち』などのノンフィクションから、『恐怖がたり42夜』『横濱幻想奇譚』などの小説、歴史上の人物検証『裏・義経本』や『現代語で読む野菊の墓』『「世界の大富豪」成功の法則』『広報がダメだから社長が謝罪会見をする!』など著書多数。「いつか読んでみたかった日本の名著」の現代語訳に 『五輪書』(宮本武蔵・著)、『吉田松陰「留魂録」』、『養生訓』(貝原益軒・著) 、『石田梅岩「都鄙問答」』、『葉隠』(いずれも致知出版社)、古典の現代語抄訳に『超約版 方丈記』(ウェッジ)がある。

 英雄は、とかく「型」にはめられがちだ。織田信長は「直情径行型」、豊臣秀吉は「ひょうきん型」、徳川家康は「忍従型」とか、信長は「天才」、秀吉は「人たらし」、家康は「温情家」という具合だが、誰にも多面性があって、いつも同じ型とは限らず、ときには「意外」と思える一面を見せて驚かせることもあるのだ。

「調整型」の姿も見せていた徳川家康

 たとえば、「姉川の戦い」の前日の軍議で、家康が信長の意見に忍従することなく、「第1陣(先陣)」に固執して譲らなかった場面もそれだろう。

 家康の生涯の合戦体験は、17歳の初陣から74歳の大坂の陣まで「大小含めて48戦」と『名将言行録』は書いているが、57戦という説もある。

 大合戦とされるのは、桶狭間の戦い(19歳)、三方ヶ原の戦い(31歳)、小牧・長久手の戦い(43歳)、関ケ原の戦い(59歳)などだが、「姉川の戦い」(29歳)もその一つだった。

 姉川は、北近江を流れて琵琶湖に注ぐ川幅約100メートル、水深1メートル前後(当時)の浅い川である。その川を挟んだ1570(元亀元)年6月の戦いを、参謀本部編纂『日本戦史』は「姉川役(あねがわのえき)」と呼んで、こう説明している。

「桶狭間役(おけはざまのえき)の後十年にして姉川役あり。織田信長は徳川家康とともに南軍を成し、浅井長政も朝倉義景の将士とともに北軍を成し、江越(ごうえつ)、濃尾(のうび)、参遠(さんえん)等数州の兵、相会して一地(いっち)に対抗す。また著名の大戦なり」※江越は江州〈近江国〉・越州〈越後国〉、濃尾は美濃国・尾張国、参遠は参州〈三河国〉・遠州〈遠江国〉

 姉川の戦いは、地理的には「南軍・北軍の戦」で、「織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍との合戦」をいうが、当初はそういう図式ではなく、「信長の妹(お市の方)の夫、浅井長政も信長側につき、朝倉を挟み討ちにするから南軍楽勝」との戦前予想だった。

 家康も、上洛中の信長から援軍を要請された2月(戦いの4ヵ月前)にはそう思っていたが、戦闘直前に状況が急変する。長政の父久政が「古い付き合いのある朝倉家に敵対することは許さぬ」と強弁し、長政が折れて寝返ったことで状況は一変、苦戦を強いられた。

信長との刎頸の交わり20年

 信長に越前の戦国大名朝倉義景を討つように求めたのは、足利義昭だった。

 義昭は、信長の助けを得て上洛を果たし、室町幕府の15代将軍になるが、それ以前には義景に足利家の再興を何度も命じたり上洛を促すなどしていた。しかし、義景がまったく応じず、無視し続けたので、義昭は立腹、信長に朝倉征伐を要請したのである。

 信長は、「甲州・越後は強く、美濃・近江は弱い。強いところと結んで弱いところを攻めれば、そこの領地が手に入り、京都への道も開けるだろう」と考えて朝倉義景との戦いに踏み切り、同盟関係にある家康に援軍を求めた。これが家康参陣までの経緯だ。

 家康が軍勢5000を率いて浜松を発ったのは3月7日で、4月20日には信長の軍勢3万とともに近江路から若狭に入った。桶狭間の戦いから10年後、軍事同盟を締結してから8年の歳月が流れ、信長は37歳になっていた。家康はというと、奇しくも同盟締結時の信長と同じ29歳だった。

 同盟締結から姉川の戦いに至るまでの家康の主な出来事は、次のようだった。

21歳 信長と軍事同盟「清州同盟」を結ぶ
22歳 元康を家康に改名
23歳 前年に発生した三河の一向一揆を平定
24歳 東三河を入手 ※父が殺された年齢
25歳 松平から徳川へ改姓。名実ともに独立 ※祖父が殺された年齢
26歳 長男信康が信長の長女徳姫と結婚。織田家と姻関係に。
27歳 武田信玄と条約を結び、大井川の遠州を入手
28歳 今川氏真(義元の遺児。今川家の後継者)を掛川城から追放

 信長との契りは「刎頸の交わり」と評してよいほど強靭で、軍事同盟は信長が本能寺で横死する1582(天正10)年まで、20年もの長きにわたって続くのだ。


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