徳川家康から学ぶ「忍耐力」
終わりの見えない新型コロナウイルス禍に、ウクライナ戦争や米中対立など先を見通せない世界情勢――。閉塞感が高まる日本を変えるのは、イノベーションを引き起こす新たな発想力だけではない。ピンチに耐え、好機を生かすことも必要だ。それをまさに地で行ったのが徳川家康である。幼少期からの逆境を乗り越え、太平の世を作り出した将軍の生き様から混沌とした社会で生き抜く考え方を学ぶ。
-
2024/08/25 城島明彦
日本を救国するための非常手段として、「AIを活用した家康を首班とする1年間の時限内閣を組閣」という映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」。では、信長、家康、秀吉「戦国の三英傑」は、戦後のリアルな歴代内閣でいうと、誰が最も近いのだろう?
-
2024/07/26 城島明彦
英雄はとかく「型」にはめられがちだ。信長は「直情径行型」「天才」、秀吉は「ひょうきん型」「人たらし」、家康は「忍従型」「温情家」という具合だ。誰にも多面性があって、いつも同じ型とは限らず、ときには「意外」と思える一面を見せることもある。
-
2023/12/10 城島明彦
「どうする家康」も最終章を迎えている。大坂冬の陣、夏の陣は「律儀」「愚直」「誠意」に徹したのも、逆境で身につけた〝耐える処世術〟が実を結んだ時とも言える。家康のそれまでを振り返りながら耐える力を見てみたい。
-
2023/11/05 城島明彦
関ヶ原の戦いは、家康の東軍は7万5000、三成の西軍は8万4000で、軍勢は西軍がまさっていたが、勝敗はその逆になることが予想できた〝奇妙な合戦〟だった。なぜなのか。合戦前から見てみたい。
-
~「賤ケ岳の戦い」から「小牧・長久手の戦い」へ~
2023/08/13 城島明彦「ある日突然、上下関係が逆転したらどうすればいいのか?」今日のビジネスシーンにも通じる命題を投げかけたのが、「本能寺の変」の前と後の徳川家康と豊臣秀吉の関係である。
-
2023/07/30 城島明彦
「生きるか死ぬか」の家康の「伊賀越え」は、1582(天正10)年6月2日未明の「本能寺の変」に対する戦国の三英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「危機管理」の違いを知ることで、理解がより深まるだろう。
-
2023/07/23 城島明彦
「本能寺の変は謎が多い」とされている。確かに「明智光秀の動機」は謎めいている。「怨恨説」、「野望説」、「陰謀説」、「黒幕説」、「焦燥説」、「家康陰謀説」なるものもあるが、今に至るも特定されていないが、果たしてそうか。
-
2023/06/18 城島明彦
徳川家康ほど「辛抱」「我慢」「忍従」を貫いた戦国大名はいない。〝ひたすら耐えた人〟。それが家康であるが、38歳だった1579(天正7)年に起きた「妻子殺害事件」にはそれが感じられないのである。
-
2023/06/04 城島明彦
長篠の戦いで、信長・家康連合軍が勝利をおさめたのは、〝信長の発想力〟というイメージが大きいだろうが、軍事同盟を結んだ家康の「慧眼」ぶりにも注目しないといけず、家康の家臣による活躍もあった。
-
2023/04/30 城島明彦
勇気と自信は若さの特権だが、ときとして暴走を招く。「三方ヶ原の戦い」での家康がそうだった。「5分の力で勝てれば上、7分の力なら中、10分の力を出し切って勝つのは下とする」を合戦主義とする52歳の武田信玄に完膚なきまでにやられた。
-
2023/04/16 城島明彦
「姉川の戦い」は、1570(元亀元)年に起きた「信長・家康軍VS浅井・朝倉軍」の激戦で、家康の「5大合戦」ないしは「6大合戦」の1つに数えられる重要な合戦だ。この戦いの〝勝敗の行方を左右したキーマン〟は浅井長政である。義理か血縁かで揺れた。
-
2023/02/25 城島明彦
家康は、桶狭間の戦いで今川義元が戦死したことで、足かけ13年にも及ぶ人質生活から放免され、信長と軍事同盟、元康から家康へと改名、順風満帆かと思えた。だが、好事魔多し。家康は「三河一向一揆」という大嵐に見舞われ、危機的状況に直面するのだ。
-
2023/01/29 城島明彦
英雄はとかく「型」にはめられがちだ。信長は「直情径行型」「天才」、秀吉は「ひょうきん型」「人たらし」、家康は「忍従型」「温情家」という具合だ。誰にも多面性があって、いつも同じ型とは限らず、ときには「意外」と思える一面を見せることもある。
-
2023/01/09 城島明彦
家康と信長の両家は、父親の代まで犬猿の仲だったところ、「桶狭間の戦い」が2人を結び付け、同盟の絆で強く結ばれた。信長が本能寺で横死するまで、実に35年もの歳月の付き合いになるのだから〝馬が合った義兄弟〟といえるだろう。
-
2023/01/08 城島明彦
歴史に詳しくない子どもでも、少人数の信長が多人数の義元を奇襲して勝利した「桶狭間の戦い」という名称だけは知っている。義元の人質になっていた家康は、その戦いには参戦していない。しかし、武者としての実力を認められることになる。
-
2023/01/01 城島明彦
コロナ禍にウクライナ侵攻と、世界の国々はかつてない逆境に立たされている。信長、秀吉、家康を「戦国の三英傑」と呼びならわすが、家康ほど「逆境」という言葉が似合う武将はいないと断言できる。家康の生き様から逆境を乗り越える術を見てみたい。
|
|