2024年4月20日(土)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2023年4月2日

物流の大動脈を拠点としていた鳥居忠吉

 まずは長老筆頭で前回からの話題の人物、鳥居忠吉から。鳥居氏のルーツは紀伊国で、鈴木一族(有名な雑賀孫一もこの流れだ)とも熊野別当の一族とも伝えられている。

 このご先祖様が三河国矢作庄に移住し、忠吉は矢作川右岸の上渡(かみわたり)に住んだ。上渡の内の北浦の渡城が本拠だったという。

 この渡という名前から察せられるように、この土地は中世の古東海道(後の鎌倉街道)で矢作川を対岸の六名に渡る渡し場だった。まさに水陸流通の交差点、要衝だ。

岡崎城下を流れる乙川は、すぐに矢作川に合流する

 東海道の流通面での重要性は言わずもがな、矢作川自体が西三河と美濃・信濃を結ぶ流通の大動脈で、矢作・渡・岩津・大門(岡崎の北、矢作川東岸)・明大寺(岡崎の南、乙川の対岸)・上和田が渡し場だった。それぞれの土地では「矢作長者」などの大金持ち伝説が生まれるほど、流通経済で栄えたという。

 見逃してはいけないのは、この渡から西へ歩いて20分ほどのところに妙源寺という浄土真宗のお寺がある点。浄土真宗は淀川の大坂本願寺はもちろん木曾三川の伊勢長島願証寺でも知られるように大河川と街道が交わる繁華な土地、大檀那を確保しやすいリッチな土地に拠点を構える傾向が顕著だ。

 これ、後でもまた触れるので覚えておいていただきたい。家康の祖父・松平清康も岡崎城を奪い矢作川を押さえたことで勢力を大いに伸長した。つまり、鳥居家は少なくともそのリッチさの恩恵を受けた家であった筈で、渡し場を押さえる渡城の主だったということはまさに「伝説の長者」のひとりに挙げられてもおかしくない立場と言える。

 忠吉はそもそも岡崎の年貢をくすねる必要など無いほど裕福だったのだ。というわけで、歴史好きの妄想、終了。

骨絡みで家康支える酒井忠次は?

 続いては家康の宿老筆頭、四天王の一人となる酒井忠次だ。酒井氏は大江氏の流れというから、本当なら毛利元就の遠縁にあたる。酒井家は家康の松平家とは古くから非常に近しい関係にある譜代筆頭で、忠次は家康の叔母を妻としており、骨がらみで家康を支える立場にあった。

 その酒井氏は、碧海郡酒井(坂井)を地盤とする(異説あり)。松平一族の発祥の地・松平郷から六里、知立の西北隣り、境川の東だ。後に富士松村の東境・西境(ひがしざかい・にしざかい)となり、現在は刈谷市西境町・東境町と変わっている。

 この土地にも鎌倉街道(中世の古東海道)が通り、西境の尾張・三河国境を流れる境川が下流の刈谷城から衣浦湾を経て伊勢湾へ出る。つまり渡と同じ様に水陸の交差点で、東境に真宗の泉正寺があるというのも渡同様リッチな土地であった傍証になる。

 ちなみにその後岡崎に進出した松平家に従って酒井家も南に拠点を移し、井田(岡崎の北、伊賀村の北隣)にも忠次まで三代の城があった。


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