2024年2月27日(火)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2023年5月28日

 石川数正の出身地、碧海郡上野について豊かな土地だったろうと、前回の「『どうする家康』で映えない家臣たち プアー?リッチ?」で推測したが、『碧海郡誌』という大正時代の地誌にも、「下に矢作川の福地を望むの高地」とあった。しばしば氾濫を起こした矢作川がもたらす肥沃な土壌から穫れる農産物と、舟運による繁栄。このふたつを「福」とし、上野はそれを高みから見下ろして支配する地、という構図。

 まぎれもなくリッチ、そしてその恩恵を、石川氏は受けていた。まぁ大河ドラマ「どうする家康」でも石川数正はだいたいいつも折り目正しい服装の人格者という感じだから、違和感も無いんじゃなかろうか。

三河一向一揆の精神的根拠となった大坂本願寺の推定地碑(大阪城公園内、筆者撮影、以下同)

 さぁ、本題に入って残りの家康家臣の経済パワーについて考えていこう。

浄土真宗に経済活動も組み込まれた本多正信

 ドラマでは地味な黄土色というか洒落て言えば青香(あおこう)色というか、アーシーな(泥臭い)出で立ちで登場している頭脳派筆頭の本多正信。

 武闘派家臣たちからはクソミソにこきおろされながらも冷静に家康に秘策を献言する参謀役。家康の生涯の最期まで付き従う事になる彼の生育環境については、より丁寧に考証しなければならないだろう。

 豪勇無双の忠勝の本多家とは遠縁で、正信の家系は『寛政重修諸家譜』に彼の曾祖父が西城に住んだ、とある。

 岡崎城の南西に離れた矢作川下流・西条のことだろうが、家康の祖父・清康の時代に西条城(後の西尾城)が敵に攻め落とされた際に討ち死にしたというのは、史実とうまく当てはまらない。

 碧海郡土井(現在の岡崎市土井町。針崎の西)を本拠とした流れだという説もある。勇将・本多広孝もこの土井の出身だ。実は正信の本多家は広孝の本多家の分家の家系だから、土井が共通の出身地というのは自然だと考えられる。

 この土井は針崎の勝鬘寺すぐ西隣りというロケーションで、浄土真宗の影響力が強い土地柄だから正信もその恩恵をこうむっていた。というか、その経済活動に完全に組み込まれた格好だったのではないか。後に三河一向一揆の側に与して家康に敵対するのもむべなるかな、というところ。


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