天使と悪魔の鳥居・鳥井一族
さらに、問題はそれだけではなかった。家康側の武士が本證寺の境内で押収しようとして抵抗され、暴れた馬が蹴散らしてしまったのだろう米の持ち主というのが、厄介だったのだ。
その人物は、鳥井浄心という。鳥井=鳥居で、おそらくは家康の家臣である鳥居忠吉と同じ鳥居一族だったと思われる。彼は元々武士ながら農業だけでなく商売も行い、富を積んで本證寺の境内に屋敷を建てて構えていたという。穀米を広げたのは、この屋敷だったという訳だ。
さらにこの鳥井浄心について続けよう。今度は『専幅寺系図』という史料を紹介する。これによれば、鳥井浄心は鳥居忠吉と同じ渡村の出身で、仏門に入る前は大炊頭(おおいのかみ)の官途名を名乗っていたらしい。
大炊頭は朝廷の御料地を管理する(すなわち朝廷の経済面を管理する)従五位下相当の官職名。従五位下といえば大名や上級武士が任じられる官位だから、浄心の場合はおそらく勝手に名乗っていただけだろうが、そう名乗っても周囲から笑われないだけの経済スキルと財力を備えていたと考えて良い。
そして本證寺の境内の浄心屋敷には蔵もあったという。戦国時代の蔵といえばすぐ思い浮かぶのは土倉だ。そう、浄心は本證寺のバックアップの元で金融業も営んでいたものと思われる。こちらでは家康側は穀米を踏み荒らすどころか、浄心の蔵を打ち破って財宝をすべて散乱させたとあるから、蔵は質物などで満ちていたのだろう。
ちょっと時代は下るが、家康の家来の深溝松平家忠が記した『家忠日記』にはしょっちゅう借金して回っている様子が見られる。家康の力が大きくなってもなお、その家来たちは金策に苦労していたのだ。家康が独立して間もない時期、懐事情は一段と切迫していたに違いない。
鳥井浄心は、そんな連中に金を貸して儲けていた。渡村で蓄えた金銭をそちらに投資したということだが、利息を取ったり質物を取り上げたりしてしまえば、恨みを買うことだってある。
家康がたとえ「真宗寺院と穏便に交渉して米銭を貸してもらおう」と言ったとしても、家来たちの恨みが、本證寺境内屋敷と蔵への襲撃という結果に結びついてしまった可能性が高い。
渡村の富は、鳥居忠吉と鳥井浄心という家康にとっての天使と悪魔を生み出したことになる。そして、この悪魔(あ、あくまでも家康側から見た悪魔です)、浄心にはたちの悪いことにバックが居た。それが本證寺。
当時の大寺院は、千利休の回で少し触れたように信徒から寄進された金銭を「祠堂銭(しどうせん)」と呼んでそれを貸金に回していた。金融業による資金運用だ。
浄心もその恩恵を受け、回転資金として活用したかも知れない。あるいはさらに一歩踏み込んで借りた資金で土倉業を営んでいたとも考えられる。
要は、境内の中の屋敷というだけでなく資金的にも浄心は本證寺の一部に組み込まれていた。だから、浄心に対する狼藉は即座に本證寺への挑戦となり、あっという間に戦いの炎が巻き起こったのだった。