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2019年11月19日

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小泉悠 (こいずみ・ゆう)

東京大学先端科学技術研究センター特任助教

1982年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。民間企業を経た後、2008年から未来工学研究所。09年には外務省国際情報統括官組織で専門分析員を兼任。10年、日露青年交流センターの若手研究者等派遣フェローシップによってモスクワの世界経済・国際関係研究所(IMEMO)に留学。専門は、ロシアの軍事・安全保障政策、軍需産業政策など。著書に軍事大国ロシア』(作品社)、『プーチンの国家戦略』(東京道堂出版)、『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)。『ロシアの軍事情報を配信するサイト「World Security Intelligence」(http://wsintell.org/top/)を運営。

 勢力圏という言葉は、さほど珍しいものではない。新聞や書物を開けば、「米国は南米を勢力圏と捉えている」、「列強の勢力圏争い」といった表現に頻繁に遭遇する。

 では、勢力圏とは何なのだろうか。ごく簡単に言えば、ある大国が周辺の国々に対して一方的な権力関係を行使しうるエリア、ということになろう。かつてのソ連であれば、「衛星国」と呼ばれた東欧社会主義国や、これよりもやや影響力は落ちるもののベトナムや北朝鮮といったアジアの社会主義国、そして中東のアラブ社会主義諸国が勢力圏に含まれていた。

 1991年のソ連崩壊は、このような構図を大きく塗り替えた。東欧社会主義国は次々とNATOやEUに加盟してしまい、アジアや中東に対する影響力も大幅に失われた。ソ連の直接支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、南カフカス諸国、中央アジア諸国も独立国の地位を得て、約2200万平方キロに及んだ国土は約1700万平方キロまで縮小してしまった。つまり、モスクワから見た場合、ソ連崩壊とは勢力圏の大幅な後退であったということになる。

 問題は、こうした「かつての勢力圏」の取り扱いである。ことにロシアが神経を尖(とが)らせてきたのは、旧ソ連欧州部に位置しながら、NATOにもEUにも加盟していない諸国─ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア(ジョージア)の6カ国であった。「狭間(はざま)の国々(In-Betweens)」と呼ばれるこれら諸国は、2000年代までにNATOとEUへの加盟を果たした東欧諸国やバルト三国と異なり、まだ「西側」に取り込まれたわけではない。ソ連崩壊後のロシアが目指してきたのは、これらの旧ソ連欧州諸国が受け入れがたい振る舞い(例えばNATO加盟)をすることを阻止し、勢力圏内にとどめることであったと言えよう。

モスクワで開かれたウクライナ領クリミア併合1周年記念行事で演説するプーチン大統領 (SASHA MORDOVETS/GETTYIMAGES)

 しかし、「狭間の国々」の態度も一様ではない。ロシアとの関係を重視し、ロシア主導の軍事同意や経済同盟に加盟しているベラルーシやアルメニアのような国もあれば、最終的にはロシアの勢力圏を脱してNATOやEUへの加盟を目指すウクライナやジョージアのような国も存在する。ロシアにとっての焦点はもちろん後者であり、これらの国々がNATO、EU、米国等に接近しようとする度にあからさまな政治・経済上の圧力や、場合によっては軍事介入に訴えてきた。14年のウクライナ政変に際し、ロシアが現在まで続く軍事介入に踏み切ったことはその好例である。


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