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2019年10月21日

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中西輝政 (なかにし・てるまさ)

京都大学名誉教授

1947年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。ケンブリッジ大学大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て、京都大学大学院・人間環境学研究科教授。2012年4月より京都大学名誉教授に。専攻は国際政治学、国際関係史、文明史。近著に『日本の悲劇 怨念の政治家小沢一郎論』(PHP)がある。

(SEAN GLADWELL/GETTYIMAGES)

 世界史の劇的な転換点である「ベルリンの壁崩壊」から11月9日で満30年になる。当時は冷戦の終焉(しゅうえん)で平和な時代が訪れる、という期待感が高まったが、今日の世界情勢は大きく暗転している。「なぜ、こうなったのか」。世界情勢の未来を見渡すためには、まずは大きく変転してきた国際秩序の波動を検証することが必要である。以下、この30年の世界情勢をそれぞれ様相が異なる10年(デケッド)ごとに区切って振り返ってみる。

 最初の10年間は、ベルリンの壁が崩壊した翌月の1989年12月に開かれたマルタ会談から始まった。そこで米国のブッシュ(父)大統領とソビエト連邦のゴルバチョフ書記長が「冷戦は終わった」と正式に確認した。当時は米国もソ連も和解して手を結び、欧州はECからEUへと統合が進み、もう一つの超大国となるのではないかとみられていた。

 また、アジアでは日本が「隆々たる経済大国」として躍進を続けており、将来的には米国に肉薄するほどの経済力をつけ、政治大国としても世界で大きな役割を果たしていくのでは、と言われていた。他方、中国は同年6月に天安門事件を起こして孤立しており、「冷戦後の平和と協調」の流れの中で生き延びるためには、国際協調に努めざるを得ない立場にあった。

 このように冷戦終結直後の世界は、幾つもの大きなパワーが互いに協調し合う多極化した「協調型・多極世界」というイメージがあった。パックス・アメリカーナ(米国による覇権)が終わり、国連を中心とした「パックス・コンソルティス」(多国協調による国際秩序の維持管理)という言葉を国際政治学者は好んで使っていた。

 しかし、1年も経たずして、複数の国が協調して国際秩序をガバナンスすることは大きな壁にぶつかった。90年7月に開かれたG7のヒューストン・サミットをブッシュ大統領が取り仕切ったが、各国の首脳は、「米国はもはや盟主ではない」といわんばかりに、特にフランスのミッテラン大統領やドイツのコール首相が、米国に対して多くの厳しい注文をつけ米国に挑戦するような議論を行った。日本も海部俊樹首相が日米の経済問題による窮状を世界に訴えた。冷戦の終結によって、国際政治の場における米国の影響力には大きな陰りが見えたかに思われたが、まさにその瞬間、事態は大きく変転していく。

 91年1月に始まった湾岸戦争だ。前年夏、サダム・フセインのイラクがクウェートに侵攻し、米国は外交力、政治力、軍事力の面で圧倒的なリーダーシップを発揮する。イラク制裁の国連決議を取りまとめ、50万人を超す米軍を中東湾岸に派兵し、トマホーク・ミサイルなど最新のテクノロジーや秘密兵器を投入し、数週間でイラク軍を蹴散らした。

米国の湾岸戦争勝利を祝った軍事パレード(1991年6月、ワシントンDC)。「米国一極」の時代の幕が開けた
(JOE SOHM/VISIONS OF AMERICA)
 

 軍事力を中心とした覇権的な力のある大国だけが「世界秩序の主宰者」になるべきだ、という米国の主張を世界にまざまざと見せつけた戦争だった。つまり、この湾岸戦争によって米国は文字通り”目にモノを見せ”て、「多極化する世界」という潮流を逆転させ、「一極の世界」へと変質させたのであった。

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