2024年4月26日(金)

WEDGE REPORT

2019年10月21日

米国の脅威に怯え軍拡に突き進む中国

米国のパワーを世界に見せつけた湾岸戦争で中東に派兵される米軍(LANGEVIN JACQUES)

 しかし、その結果、多極協調型の新秩序の模索は潰(つい)え、欧州や中ロなど他の大国の間に「いかにして米国に対抗するか」という長期国策を植えつけることにもなった。また、湾岸戦争以後、逆に中東秩序の流動化が始まり、「9・11」、イラク戦争へとつながってゆく。

 米国の一方的な力の行使を見せつけられたソ連では、マルタでの「米ソ協調による平和」という誓約が反故(ほご)にされ、「米国に裏切られたのではないか」という思いが湾岸戦争後、ロシア人エリートたちに定着し始め、米国の意図に強い危機感を抱くようになった。

 中国も同様で、人民解放軍を中心に、湾岸戦争で見せつけられた米国の先端的な軍事技術について深刻な脅威感が広がり、さらに米国の「覇権への意志」を痛感した中国は、対米対抗心を強め、ここから大規模な軍拡へと突き進んでいった。

 このように冷戦の終焉直後は「協調型・多極世界」に移行していくと思われていたが、湾岸戦争を機に世界秩序の潮流は、表面的な一極構造の底に潜在的な対立を含んだ「競争型・多極世界」への流れへと変わった。かくして、「物事の本質というのはその誕生のときにすべて現れる」という格言が示すように、この30年を顧みたときに、ベルリンの壁崩壊から湾岸戦争を経て、91年12月のソ連崩壊までのわずか2年という短期間で、今日の世界秩序の基本的な構図がすでに明瞭に映しだされていた。

21世紀を模索した「五つの世界像」

 それにも拘わらず、その後、21世紀の世界像について、互いに大きく異なるおよそ五つのモデルが90年代中頃までに専門家から提示された。一つ目がフランシス・フクヤマの有名な『歴史の終わり』論である。つまり、冷戦後の世界は市場経済と民主化が世界の隅々まで普及し、米国を中心とした「西側」の主導による安全保障や国際政治の枠組みが形成され、そこではもはやイデオロギー対立や国家間の対立はなくなり、大戦争や世界革命といった現象は永遠に過去のものになるというものだった。

 二つ目がサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』論で、21世紀の世界は、もはや国家間の対立ではなく、文明間の対立が基調となる世界像を示した。当時はイスラム教徒とキリスト教徒の対立によるユーゴスラビア紛争や、インドではヒンズー教とイスラム教の血みどろの紛争が起こり始めていた。それまで、21世紀は非常に明るい未来が訪れ、民主化と市場経済により繁栄の世界が広がるはずだと思っていた人々は、いわば「ハンチントン・ショック」といってもよい歴史的な悲観論を、衝撃をもって受け止めた。

 三つ目としてリージョナリズム(地域主義)による新しい世界秩序形成の可能性が唱えられた。90年代を通じ欧州の統合は進み、北米は北米経済圏、東南アジアでもASEANが急速に統合を深め一つの経済圏を作り始めた。それらがやがて社会や文化の統合につながっていき、世界の各地域で同時並行的に統合が進み、その地域間の調整により、世界経済の運営や、世界秩序の調整も可能になるのでは、という世界像が日本を含む各国でもてはやされた。APECが発足したのも、マレーシアのマハティール首相が東アジア経済協議体(EAEC)を提唱したのもこの頃だ。

 四つ目は文字通り「ボーダーレスな世界像」が主に欧州の知識層や国際機関、そして先進国のメディアを中心に広まった。日本でも”宇宙船地球号”とか”グローバルビレッジ”とかいう言葉が語られた。経済的だけでなく社会的、さらにはやがて政治的にも国境がなくなる世界が現出するのではというイメージである。21世紀は人類共同体としてのグローバル社会が地球市民によって支えられる、というユートピアニズムによるこうした楽観的な世界観が大手を振って唱えられた。しかし、今の時点から見れば、これら四つはいずれも「的をはずして」いたと言わねばならない。


新着記事

»もっと見る