3月はメジャーリーグのドジャースとカブスが日本で開幕戦を含む2試合を行った。テレビ中継を食い入るように見ていた愛息子の和人くん(仮名)の姿を見て、河内優子さん(仮名)=30代=は「野球が好きでいてくれてよかった」と微笑ましい気持ちになった。
「私、もう無理」
約1年半前、優子さんの心は崩壊寸前だった。
和人くんが小学5年の秋、所属する地元の少年野球チームで、チーム内の人間関係に思い悩み、和人くんにチームをやめてもらうしかないところまで追い詰められた。
野球が大好きで小学1年から入部し、チームの主力として活躍していた和人くんも「ママがしんどいならやめる」と受け止めてくれた。苦しめられた“肩の荷”が下りた。
少年野球を続けることは難しい
河内さん一家は夫婦共働きで、夫の誠さん(仮名)は、週末にも仕事が入ることが多かった。和人くんが入団した1年当時は、弟もまだ幼かった。
少年野球の練習や試合は原則、土日と祝日に組まれる。優子さんは入団に際し、野球をやりたいという和人くんの願いを叶えてあげたかったが、親が練習に参加できないことが不安だった。体験会でそのことを保護者の代表に伝えると、「来られるときに来てくれればいいですよ」と言われた。
だが、入団すると全く違った。まず、父親が練習に顔を出していないことに目を付けられた。それなのに、優子さんも仕事や弟の子守で来られない日が続いた。
優子さんは運転免許がなく、車でしか行けない場所での練習は物理的にも不可能だった。ある日、高学年の保護者から呼び止められた。
「練習に来る気、ないの?」
叱責されているような怖さを感じた。少年野球を続けることは難しいと思ったが、和人くんは楽しそうに野球をしていた。高額な用具もそろえたばかりだった。
優子さんは仕事をやりくりし、同級生の親に頼んで練習に向かう車に同乗させてもらい、週末のほとんどの時間を、練習の見学に費やした。
夏は一緒に連れて行った幼い弟が、炎天下で体調不良にならないかという不安も言い出せなかった。誠さんは少年野球経験者だったので「それぞれのチームの方針があるから仕方ない」と申し訳なさそうに話した。