そこにもう一つの問題が生じた。少年野球の監督、コーチは、子どもたちの親が担っていることが多い。監督は、近所に住む和人くんの幼なじみの父だった。和人くんがうまくなり、監督の子どもよりも実力差が開くにつれて、和人くんへの風当たりの強くなっていった。好プレーをほめることなく、ミスに足らないプレーにも大声で暴言を吐かれた。
「ご自分のお子さんと比べて、妬みもあったのかもしれません」
ある日、“事件”が起きた。和人くんが新調したグローブで練習に参加したとき、捕球でミスをした。新しいグローブの皮は硬く、まだ手に馴染んでいなかった。監督はここぞとばかりに、エラーをものすごい剣幕で責め立てた。和人くんは黙って帰宅してきたが、他の保護者から「あれは、さすがにないです」と連絡をもらった。
優子さんも我慢の限界だった。何とか円満に解決したいとチームの代表に直談判の相談をした。すると、そのことを監督に伝えたと連絡があった。
「これまで、ずっと我慢していきたのに……。まさか、本人の耳に入れるとは思いませんでした」
すべてが崩壊したような絶望感に襲われ、退団するしかなかった。
監督とはそれ以降、一度も顔を合わせていない。優子さんは、和人くんから野球を奪ってしまったことが申し訳なく、近所のチームへ移ることも考えたが、和人くんが頑なに拒んだ。
「他のチームに行ったら、前のチームから『裏切り者』と言われてしまう」
少年野球の負の三要素
こうしたケースは珍しいことではない。
優子さんを悩ませたのは、典型的な少年野球のネガティブ要素とされる「保護者の労力負担」、「高額な費用負担」、「指導者による理不尽な指導」だ。
古くから地域に根ざして活動している少年野球チームは「特殊な世界」でもある。月謝を払って指導者に任せるのではなく、子どもたちの保護者が中心となって運営する「自治組織」だ。
父親らが中心となって監督やコーチを務め、母親は見学や練習場所の確保などの運営をみんなが無償でサポートする。この点が、スイミングスクールや英会話などの習い事とは決定的に違う。
昭和から平成、令和へと時代が移り変わり、核家族化が加速し、保護者の働き方が多様化した現在も、運営スタイルは大きくは変わらない。一部の保護者だけが指導や練習の見守りにいかないと、子どもを他の保護者に任せて自分たちは仕事や家事をしているとみなされる風潮がある。
練習に参加し、自分たちが労力を負担している保護者の立場からいえば、その通りかもしれない。一方で、週末に仕事や育児などを抱える家庭には大きな負担となる。歪みはやがて、保護者同士の人間関係のもつれという根深い問題を引き起こすリスクをはらむ。
もちろん、全てのチームがそうではない。保護者同士が融通を利かせ、保護者の負担を減らしたり、卒団生が寄付していった用具を貸し出したりしてくれるチームもある。運営スタイルはチームによっても違い、学年が変わると雰囲気が一変することもある。
「チームが強くなってほしい」「子どもが楽しく野球がやれればそれでいい」「親の負担を減らしたい」「小学校の間くらい、子どものために親が時間を使うのは当たり前のことだ」
子どもに野球を通して成長や経験を求めるという思いは共通でも、どんなプロセスを大切にするかは家庭によって千差万別だ。チームの方針と合わなければ、子どもが退団するか、嫌な思いをしながら活動を続けるか、選択肢は限られる。