2025年4月8日(火)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年4月6日

(2024.10.8~12.29 83日間 総費用24万1000円〈航空券含む〉)

超ナルシストのインド男子はスマホの自撮り“セルフィ―”が大好物

インド女子も自撮り好きだ。やはり自分が気に入るまで取り直し

 他国ではほとんど体験しないインド旅行の特徴は頻繁に青少年男子からスマホの自撮りによる写真撮影を依頼されることだ。男子グループが近づいて来るとスマホを用意していて即座に古希爺を取り囲みセルフィ―が始める。出来栄えを確認して数回取り直しをすることはフツウ。さらに集合写真がOKになると次に個別に“ツーショット”を要求するので時間を要する。これはSNSにアップして“格好いい俺様は外国人と仲良くしたぞー”って仲間や家族や知人に見せびらかすためだ。

 コーラムのホステルで欧米系バックパッカー男女グループと歓談していたら“インド人のセルフィ―”が話題になり全員が執拗かつ強引な自撮り攻撃を頻繁に受けていることが判明。ベルリン出身ドイツ野郎は「これからはセルフィ―攻撃を受けたら『ギブ・ミー10ルピー(≒20円弱)』と小銭を要求しよう。そうすればインド人は退散するよ」と提案して喝采を浴びた。

ホステルの姿見は順番待ち

 10月30日。@マイソール市内最安値のホステル 隣のベッドのJ君はごくフツウの24歳のインド男子。朝起きると先ず部屋の出口の横の姿見を見ながら熱心に髪の毛を整える。外出用のズボンもシャツも変哲もない既製品であるが着替えが終わるとズボンにしわがないかシャツの襟が曲がってないか鏡に向かい正面、横、後ろと向きを変えて再確認する。

 トイレに行き顔を洗って髭を剃ると再び姿見に向かい詳細に髭のそり残しをチェックして、ヘヤースプレーで念入りにヘアスタイルを仕上げる。

 それから靴を磨く。いくら磨いても見栄えがしないが一心に作業している。それからベッドに戻りスマホをチェックしてから何気なく鏡を覗いて異常がないか再確認する。ネクタイを締めてから鏡の前であれこれチェック。

 ベッドに戻りカバンの書類を確認したのでいよいよ外出するかと思いきや鏡に向かいくしを出してヘヤスタイルを微調整。

 J君以外のインド青年4~5人が朝の外出の支度をしながらJ君同様に頻繁かつ執拗に鏡を見るので朝の外出時間帯には鏡の前には常に誰かおり待たねばならない。J君は起きてから外出するまでに10回は鏡でチェック。起床からホステルを出発するまで1時間以上経過していた。

床屋でミリ単位の注文をするインド男子

コチ地区の理髪店。サンプル・フォトのようにインド男子はアイ キャッチ-なヘヤスタイル、髭カットを好む。欧米女子の評価は『やりすぎ~!』

 数年前に北インドの田舎の床屋に行ったときの光景を思い出した。オヤジがひとりでやっている床屋で2人の地元青年がいた。すぐ順番が来ると楽観して待っていたが、1時間経過しても全然順番が来ない。

 客の青年は理髪椅子に座ると微に入り細に入り要求を並べる。前髪の長さ、もみあげの形、髭の剃り方、バリカンで借り上げる範囲などなどミリ単位で注文する。しかも作業中に何度もダメだし、注文変更をする。そのたびに客とオヤジの問答が延々と続く。インド男は“くせ毛で剛毛”、“もじゃもじゃ髭”なのでそもそも理髪は難航する。

さてナルシストインド男子の結婚事情はどうなっているのだろうか。

回教徒との結婚は村落どうしの戦争になる?

 10月20日。@ゴアのパナジ レストランでマハーラーシユトワ州在住の中年夫婦と相席になった。旦那はヒンズーで夫人はキリスト教徒。ヒンズーと異教徒との結婚は三十数年前のインドでは稀有だったとのこと。双方の実家が近く幼馴染みであったので両家とも結婚を承諾した。もし家どうしが懇意でなかったら結婚できなかったと旦那は当時を振り返った。

だがヒンズーとイスラム教徒の結婚は現代でもあり得ないと完全否定。もし強引に結婚しようとしたら両家の親族ならず共同体(community)どうしの争いになるという。

恋愛結婚が増えた現代インドでも結婚を阻むカースト的結婚観の壁

 本編第4回(『イスラエルはなぜガザ侵攻をやめないのか「インドで聞いたイスラエル若者の本音と言い分」(後半)』)にて紹介したように、ヒンズー教徒の結婚はヒンズー共同体の長老会の承認の下で地元警察署長が結婚証明書を発行するという制度が一般原則のようだ。しかし大都市や都市化が進む周辺部では伝統的ヒンズー共同体は崩れつつあり宗教の影響力が弱まりつつあるとインド人はいう。

 11月7日。@フォート・コチ 食堂と小さなゲストハウスを経営するヒンズー家族の次男坊25歳によるとインドでは一世代前は双方の家族が決めた相手と結婚することが一般的だったが現在では半分近くは恋愛結婚だろうという。

 しかし恋愛でもイスラム教徒女性はそもそも恋愛の対象にはならないと除外。キリスト教徒でも結婚対象としては無理と。やはりヒンズー教で“同じ価値観”の女性を希望するという。具体的にはカーストの階層が近く経済的にも同じくらいの家柄の娘である。

 何人ものヒンズーの若者と話したが次男坊の考えはヒンズー男子の平均的結婚観と思われる。恋愛対象範囲が伝統的ヒンズー共同体規範と変わらない。


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