2025年3月26日(水)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年3月23日

(2024.10.8~12.29 83日間 総費用24万1000円〈航空券含む〉)

ヨガ・インストラクターに聞くスペインに内在する分裂のリスク

ムンバイのインド門。大英帝国から国王ジョージ5世とメアリー王妃のムンバイ訪問を記念して建設された

 11月14日。@アレッピー・ビーチ。スペイン南部マラガ出身、ヨガ・インストラクターのアリス21歳。インド南部のアシュラム(ヨガ道場)で1カ月完全菜食(ビーガン)生活して正式のヨガ指導者資格証明書を取得してきたという。

 彼女はコチからアレッピーまで50キロ以上を人からもらったポンコツ・ママチャリに荷物を載せて半日で走破してきたという猛者。筆者が1カ月余りの道中で傘、帽子、財布など次々に失くしたことを嘆いたら「無駄なモノを捨てて今現在必要なモノだけにしたら心も軽くなる」と断捨離ミニマリストの心得を諭した。

 筆者が歩いたスペイン巡礼街道(El camino de Santiago)の話をしていたら、ひょんなことからスペイン内戦の話になった。アリスによるとスペイン政治はスペイン内戦時の対立構造が尾を引いている。保守系の国民党「PP」とリベラル系の社会労働党「PESOE」二大政党が拮抗している。現在は社会労働党が連立政権を維持しているが国民党も人気があるという。

 スペイン王室はあまり人気がなく、もし王室が廃止になると独立志向の強いカタルーニャ州やバスク地方で独立運動が活発化してスペイン国家の求心力が失われるのではないかとアリスは懸念。それほどスペインでは国民の国家帰属意識が薄く逆に郷土愛が強烈らしい。

 さらに驚いたことにモロッコはスペインの分裂を期待しているという。スペインのキリスト教徒はイスラム教徒を駆逐して領土を拡大して1492年に国土回復(レコンキスタ)を完成させた。奇しくもコロンブスのアメリカ発見と同年である。信じがたいことに、モロッコは、レコンキスタ以前のアンダルシア地方について元来モロッコ領土であると主張しているというのだ。確かにグラナダのアルハンブラ宮殿はイスラム王国の栄耀栄華を今に伝えるものであるが。

バスコ・ダ・ガマの肖像。1492年にスペイン国王の支援を受けたコロン バスが新大陸を発見したことで後れを取ったポルトガル国王は喜望峰経由のインド航路を開くべくバスコ・ダ・ガマを派遣した

英国王室は果たして国民から支持されているのだろうか

 11月21日。@コーラムの静かな入江。ロンドンの東の郊外の病院勤務のナース。彼女はなんと6カ月の有給休暇をエンジョイしていた。英国では勤務初年度の有給休暇は25日、キャリーオーバーして最長60日がフツウらしい。念のため数回聞き直したがやはり6カ月の有給休暇である。優秀なナースであり病院に貢献していることから条件闘争したらしいが、稀有なケースであろう。

 インドの貧富の格差の話から英国の格差問題に話題が及んだ。彼女は英国王室が英国最大の富豪であることを批判した。王室財産はエリザベス女王時代に積極的資産運用により急拡大したことで知られているが、なんと現在では英国の海岸線の55%は王室に占有されているという。つまり国土の相当部分が王室領土だということらしいが。貴族階級の領地を併せると90%にもなると憤慨した。ジャマイカでは海岸線の95%は金持ちやホテルのプライベートビーチで庶民は狭いビーチでイモ洗い状態という記事を読んだことがあるが。

 他方で英国王室はスキャンダルが絶えず、尊敬に値しない王族が莫大な資産や広大な領地を独占することを看過できないと息巻いた。英国王室は資産・領地をナショナル・トラストに移管して政府が定める年金で生活するべきと主張。つまりわが日本の皇室に近い状態にすべきということか。

 現状のままでは王室廃止論者が過激化して国家としての求心力を失い、スコットランドなどの独立派を抑えられないと懸念した。確かにわが日本の皇室財産と比較すると英国王室財産は比較にならない。

ムンバイのタージ・マハル・ホテル。タタ財閥の創始者がムンバイで英国人経営の高級ホテルでの宿泊を拒否されたことからインド人経営の最高級ホテルを作ろうと建設。1903年創業

連合王国(the United Kingdom)は
ツギハギ(patch work)の寄せ集め国家?

 11月23日。@コーラムの入り江。英国北アイルランド在住のITエンジニアのマット。4月に旅に出て南米~インド~スリランカ~豪州を経て年末帰国の予定。9カ月の長期無給休暇。マットは勤務しているIT企業のCEOと話し合い、現職に復職する条件で休暇を取得。ITエンジニアは得手不得手があり、特殊分野だと技術者と仕事のマッチングが難しいので復職条件での長期休暇は企業と技術者双方にウィンウィンらしい。

マイソール市郊外のマイソール王国時代に建てられたイスラム教寺院の尖塔

 北アイルランドといえば、昭和世代のジジイにはIRAによる幾多の爆弾テロ事件が思い出される。マットによるとIRAのようなテロはなくなったが、さりとて“穏やかな平和”からはほど遠いという。プロテスタント系英国人とカトリック系アイリッシュの間の緊張した関係はなくならない。例えば、ロンドンの繁華街でネオナチ的イングランド人が、会話のイントネーションからアイリッシュを見つけ出して暴行する事件が散発しているという。

 以前日本の言語学者がアイルランド語はアイルランド共和国、北アイルランドにおいて既に死語となっていると語っていた。現在では英語が日常言語でありアイルランド語は10年後には消滅すると予測していた。マットによると北アイルランドでは、若者の間でアイルランド語を学ぶことがブームとなっており、アイルランド語が復権しつつあるという。アイルランド語のTVチャネル、ラジオ局もあるという。これはアイデンティティへの回帰のメガ・ムーブメントとマットは分析した。

 スコットランド独立運動は相変わらず根強いが、英国との貿易障壁、北海油田の帰属、防衛費用負担など難問が多々あることはスコットランド人も認めているが、やはりスコットランド語のTV局、ラジオ局はスコットランド人の拠り所になっているとマットは解説。

 英国ではウェールズは独立志向がないようだがと水を向けると、ウェールズ人も“イングランドの支配”への反発が強いとマットは反論。ウェールズ人は英国王室の皇太子が“プリンス・オブ・ウェールズ”と称することに嫌悪感を抱いているという。そもそもウェールズの王室領地は微々たるものらしい。従って皇太子の呼称も名目だけであると。そしてウェールズにもウエールズ語のTV局、ラジオ局があるとのこと。やはり英国はパッチワーク国家なのだろうか。


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