2025年3月27日(木)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年2月16日

(2024.10.8~12.29 83日間 総費用24万1000円〈航空券含む〉)

なぜか町が清潔、よく見ると野良牛がいない!

 承前。本編第1回、第2回にて詳述したが、筆者の率直な感想を吐露するとインドの町の第一印象はいずれの都市でも“汚い・不潔”に尽きる。その一つの根源は無数の聖牛、要するに“野良牛”が無差別にばらまく糞尿”である。

 ヒンズー教では建前上は牛を崇め奉ることになっているが、インド各地で見かける聖牛の実態は皮肉なことに“惨めな野良牛”である。一部の熱心なヒンズー教徒が毎朝餌になる草を与えているケースもあるが、それでも足りない。野良牛は街中の少ない雑草を食べ、さらには残飯を求めゴミを漁り、常に食べ物を求めて街路をさまよう。商売の邪魔になるので店先に居座る野良牛を商店主が木の棒で無慈悲に叩いて追い払うのは日常的光景である。どの店でも店先に牛追い棒が置いてある。

 ポルトガル・オランダ・英国の支配を受けたコーチンの旧市街、旧ポルトガル領のゴア市街、旧フランス領のポンディシェリー市街は植民地時代の建築物が異国情緒を誘いロマンチックな風情を感じるが、こうした地域では植民地時代からの伝統が生きているのか野良牛をほとんどみかけない。つまり野良牛がいないインドの街では、多少ゴミはあるものの西洋の街角のように整然とした雰囲気を醸し出しているのだ。

 ケララ州はインド亜大陸の南西端に位置する人口3600万人ほどの比較的小さな州である。筆者の印象ではケララ州は極めて非インド的であった。インド各地で否応なく感じた7K(キツイ、汚い、臭い、辛い、恐い、喧噪、カオス)を意識することはほどんどなかった。まずケララ州では野良牛を見かけたことがなかった。ケララ州をフツウのインドの町と比較することでインドの本質が見えてくるのではないだろうか。

アレッピーの海岸に並ぶ漁船、この付近はカトリック教徒が多い

インドではインド女子の一人旅は厳禁だがケララ州は安全なのでOK?

 今回の旅で筆者は初めて一人旅をしているインド女子に遭遇した。それまで三度の長期インド旅行でインド女子の一人旅は皆無だった。ケララ州の北隣のカルナータカ州のハンピのホステルで一人旅インド女子に遭遇した。クシュというムンバイ出身の34歳で大学卒業後はいくつか仕事を変えてキャリアアップを目指していた。

 年恰好からして一人前の女性に見えたが、大家族の家長である父親は心配してムンバイとハンピを直行バスで往復すること、女性マネージャーがいるホステルに泊まること、毎日メールと電話で2回定期連絡するという条件で一人旅を許可したという。クシュによるとインドでは女性一人旅は危険なので家族が許さないのがフツウとのことだった。

 ケララ州のコーラムの美しい入り江のホステルで【気候温暖化による海水面上昇が地域住民の社会生活に与える影響】の調査に来ていた30代後半の大学に勤務する女性研究者と会った。彼女もインドでの女性一人旅は危険なので避けるが、ケララ州内だけは安全なので単独で調査に来たと言う。

 同じホステルで会った女性は22歳で大学卒業後世界的IT企業のバンガロールの研究開発センターに就職。彼女もケララ州内であれば安全なので一人旅で就職して初めての休暇を楽しんでいると話してくれた。

 ケララ州の断崖絶壁の海岸が美しいバルカラで出会った21歳のコーチン在住の旅行会社勤務の女子は旅行会社の情報からケララ州内であれば女子一人旅は可能と判断したとのこと。彼女によるとインドでは一人旅の女性は教育レベルの低い男達の格好の性的暴行の対象となるという。これはヒンズー教の男尊女卑の考え方、すなわち女性は男性に従属するべきという思想が背景にあるという。ケララ州は識字率がインドで最高であり高等教育が普及していると補足した。つまりヒンズー教の時代錯誤旧態依然の思考から脱して近代的規範を受容できる素地がケララ州にはあるというようなことらしい。

バルカラの断崖絶壁の上のカフェからインド洋を望む

ケララ州ではビーフ・カレーが食べられる『ハラル・ビーフに仰天!』

 ケララ州の主要都市であるコーチンの観光名所であるユダヤ人街を歩いていて肉屋が“認定ハラル・ビーフあります”というポスターを堂々と掲示してあるのを見て吃驚した。ハラルとはイスラム教徒の宗教的資格を持った専門家がコーランの教えに基づいて正しく屠殺して加工した食肉を指す。

 過去三度の長期インド旅行で牛肉料理にお目にかかったことがない。もちろん牛乳・バター・チーズなどはインドのどこでも貴重なたんぱく源として食されている。しかし神聖な牛の肉を食べるなどインド国内ではあり得ないと筆者は思い込んでいたのだ。

 コーチンの街なかの庶民的食堂でもメニューに“ビーフ・カレー”と明記され“チキン・カレー”“マトン・カレー”よりも若干値段が安かった。ちなみにコーラル、バルカラなどケララ州の他の町でもビーフ・カレーはフツウに提供されていた。しかし州境を越えてカンニャークマリの町に入るとビーフ・カレーは姿を消した。

コーチンの肉屋の店先の「ハラル・ビーフあります」の看板

今や死語と化したはずのマルクス主義を信奉する共産党マルクス主義派

 ケララ州は1957年に共産党政権が成立して以来伝統的に共産党の勢力が強い。現在も州議会は共産党マルクス主義派(CIPM)が第一党であり、インド共産党と合わせて過半数を占める。ケララ州首相も共産党出身者である。筆者の知る限りインドでは州政府の行政権限が広い。例えば日本ではたばこ税、酒税などは全国一律であるが、インドでは禁酒州もあり酒税は州ごとに税率が異なる。また公立学校のカリキュラムも州ごとに決められている。

 従って宗教に対して否定的な共産党がケララ州においてはヒンズー教の下での社会生活上の束縛から人々を解放するような施策を進めてきたものと思われる。その結果として野良牛が町中からいなくなり、女性の一人旅が可能になる社会規範が一般化し、ビーフ・カレーも食べられるようになったのではないだろうか。

 ケララ州は宗教的にはヒンズー教徒が55%、イスラム教徒27%、キリスト教徒18%であり、他の州と比較してイスラム教徒・キリスト教徒の割合が多い。こうした人口構成が共産党による脱ヒンズー教=世俗化政策を容易にしたものと推測するが如何であろうか。

ケララ州の街角では共産党のアイコン「ハンマーとカマ」と赤旗を頻繁に見 かける。この壁の右の方にインド共産党マルクス主義派(CPIM)の選挙ポスターが見える

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