2025年7月10日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2025年6月23日

 和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドで飼育されているジャイアントパンダ(以下パンダと略す)は今月28日限りで中国に送られ、上野動物園のパンダも来年までとなった中、日本国内におけるパンダの今後をめぐる関心が高まりつつある。 

28日で中国に返還されるアドベンチャーワールドのパンダ(Yasunori Nakajo/gettyimages)

 果たして「次のパンダ」は来日するのか。筆者のみるところ、最早日本人の「パンダ愛」は優先されない可能性がかなり高い。現在の習近平政権は自らの世界観を拡散する手段としてパンダを動員しているからだ。歴史的経緯と近年の諸言説を比較検討する中から考えてみたい。

中国ナショナリズムの動物として「発見」されたパンダ

 そもそもパンダが生息するのは、四川盆地の西端からチベット高原へとせり上がる険しい山岳地帯の森であり、そこはチベット文化圏に含まれる。ゆえに「パンダは中国の動物ではなくチベットの動物」とする言説は少なくない。しかし、そのようなパンダの存在がここまで世界中に知られるようになったのは、複雑を極めた中国近現代史の産物であり、そういう意味でパンダは「中国ナショナリズムの動物」でもある。

 この一連の経緯については、家永真幸氏の論考が大変詳しく(『中国パンダ外交史』講談社選書メチエなど)、ほかWikipedia華語版や中国の『百度百科』でも詳しい解説がある。パンダがいかに政治的動物であるかを理解することは、今般の状況を考える前提と言えることから、以下、筆者なりに、「政治的なパンダ簡史」をまとめてみたい。

 そもそも近代になるまで、四川省はもとより「中華」の人々にとって、パンダは疎遠で謎な存在であった。『百度百科』をはじめ中国の至るところでは、「パンダは古くから《天朝》外交の手段として用いられており、その象徴が唐代・則天武后による日本・天武天皇への「白熊」贈与であった」ことがまことしやかに語られている。もっともこれは、近現代になってパンダ外交が意識された後に『日本書紀』が誤読された結果に過ぎず、後の類似事例にも事欠いている。

 欧米が「謎の動物」パンダの存在を知ったのは19世紀後半以後の話である。20世紀になると、探険と称して入域し密猟する動きも繰り返された中、1929年には米国のルーズベルト探検隊がパンダを射殺し、持ち帰ることに成功した。

 さらに36年、米国のハークネス夫人が幼獣を確保し公開にこぎつけたことで、ついに米国で熱狂的パンダブームが起こった。そこでさらなる密猟が横行すると、自然科学者らが、国家主権護持の観点から四川西部山岳地帯の自然環境の象徴であるパンダを保護せよとの声を上げ、パンダ密猟は全面的に禁止された。

 その代わりに中国側は、パンダを欲する欧米諸国に対し、抗日への協力に感謝の意を表明するのを兼ねてパンダを贈与することで、戦争をさらに有利に進めようとした。こうして第二次世界大戦期には、14頭のパンダが欧米諸国に贈られた。

 中華人民共和国成立後、パンダは社会主義の連帯という文脈で、ソ連や北朝鮮などに贈られた。しかし72年のニクソン訪中を機に米国と日本、そして74年には英国にパンダが贈られたことで、パンダは中ソ冷戦と中国経済の立て直しの時代における西側諸国との友好協力関係の象徴という意味合いを帯びた。


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