2025年12月19日(金)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2025年12月19日

不気味な静寂と、地下のマグマ

 2025年、日本経済は奇妙な閉塞感の中に漂っている。

 スーパーマーケットの棚に並ぶ食品、ガソリンスタンドの看板、毎月ポストに届く電気料金の明細――。私たちの生活を取り巻くあらゆる価格が、じわりと、しかし確実に底上げされている。人々は「物価が上がった」と嘆き、企業は乾いた雑巾を絞るようにコスト削減に奔走し、政府は賃上げを叫ぶものの、消費税減税のような抜本的な手は打たれないまま時間は過ぎていく。

 しかし、資源の現場に半世紀身を置き、世界中の鉱山とマーケットの荒波に揉まれてきた私の目には、今の日本が決定的な「何か」を見落としているように映る。それは、目に見える生活物価の上昇の裏側で、地下深く静かに進行している巨大なマグマの胎動である。

 資源市場、とりわけ産業のビタミンと呼ばれるレアメタル市場において、2025年のこの「静けさ」は異常だ。ロンドン金属取引所(LME)のモニターを眺めていても、あるいは中国のトレーダーと電話をしていても、張り詰めた緊張感が伝わってくる。

 海が荒れる前、風が止まり、鳥の声が消え、不気味なほどの凪(なぎ)が訪れることがある。今のレアメタル相場は、まさにその状態だ。だが、この静寂こそが未曽有の嵐の前兆であることに気づいている人間は、残念ながらまだ少ない。

 私の手元にある「山師の手帳」――現場の肌感覚と過去数十年の相場サイクル、そして冷徹な地政学の分析を書き溜めたノートを見返すと、一つの恐るべき未来図が浮かび上がる。

 2026年は、レアメタル相場が長い眠りから目覚め、牙をむく年になるだろう。

 そしてその先に待つ2027年には、多くの日本企業が「買いたくても買えない」という供給ショックの業火に焼かれることになる。これは予言ではない。すでに引かれた導火線の上を、火花が走り始めているという事実の報告である。なぜ、そう断言できるのか。私の経験と共にその論理を紐解いてみたい。

(hamzaturkkol/gettyimages)

供給の“静かな崩壊”――鉱山はスイッチ一つでは動かない

 コモディティ(商品)相場において、価格決定の主導権を握るのは、いつの時代も「供給側」である。需要が減退しても、それ以上に供給が細れば価格は跳ね上がる。いま世界で起きているのは、まさにこの供給サイドの構造的な崩壊だ。

 2020年代前半、脱炭素ブームに乗って一時的に急騰したバッテリーメタル(リチウム、ニッケル、コバルト)は、その後のEV(電気自動車)販売の踊り場や中国経済の減速を受け、2024年から2025年にかけて厳しい調整局面に入った。

 市場関係者は「供給過剰だ」と安堵し、メーカーは在庫を極限まで圧縮した。投資家は「もう資源ブームは終わった」と資源セクターから資金を引き揚げた。

 だが、現場を知る私からすれば、これこそが最大の罠である。

 価格低迷期に、鉱山の現場で何が起きるか。私はかつて、市況悪化により閉鎖された海外の鉱山をいくつも視察したことがある。そこにあるのは、錆びついた重機と、誰もいない選鉱場、そしてメンテナンスされずに水没していく坑道だ。

 鉱山会社は探鉱活動を止め、採算の合わない鉱山を閉鎖し、巨額の資金が必要な新規開発プロジェクト(FID)を延期する。株主への配当を維持するためには、開発費を削るしかないからだ。

 資源開発というビジネスは、製造業のタイムスパンとは次元が違う。有望な鉱脈を地質学者が発見してから、実際に精鉱を出荷するまで、環境アセスメントやインフラ整備を含めれば10年から15年はかかる。つまり、2025年に投資を止めたツケは、来年や再来年ではなく、数年後の決定的な供給不足として必ず跳ね返ってくるのだ。

「足りなくなったら増産すればいい」と考えるのは、資源を知らない机上の空論である。鉱山は、工場のラインのようにスイッチ一つで再稼働することはできない。一度閉じた鉱山に地下水が溜まり、熟練の技術者が散逸すれば、再開には数年単位の時間と莫大なコストがかかる。

 2026年に世界が悲鳴を上げて供給を求めても、物理的に、もう増やす手段がないのである。


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