歴史は繰り返す――「2年周期」の法則と2010年の悪夢
私は過去50年、相場の荒波に揉まれる中で、トレーダーとしてある一つの経験則にたどり着いた。
それは、「暴騰の前には、必ず不気味なほどの静寂(凪)がある」ということだ。そして、相場が底を打ち、本格的に火がつくまでには「2年」のタイムラグがある。
時計の針を戻してみよう。あの「2010年レアアース・ショック」を覚えているだろうか。
尖閣諸島沖での漁船衝突事件をきっかけに、中国が事実上の対日禁輸措置を取り、レアアース価格は数カ月で10倍以上に跳ね上がった。日本の製造業はパニックに陥り、私の携帯電話は昼夜を問わず鳴り止まなかった。「いくらでも出すから確保してくれ」「ラインが止まってしまう」という悲痛な叫びを、私は今でも鮮明に覚えている。
だが、その前年の2009年はどうだったか。
リーマンショック後の世界不況で需要が蒸発し、誰もレアアースに見向きもしなかった年だ。価格は暴落し、世界中の鉱山は閉鎖され、企業は「在庫削減」を錦の御旗に倉庫を空にしていた。
その時、私は周囲に言った。「今こそ買い時だ。中国の動きがおかしい」と。しかし、不況の最中に耳を傾ける経営者は少なかった。その結果、供給能力がゼロに近い状態で政治的なトリガーが引かれ、市場は大混乱に陥ったのだ。
2006年の資源スーパーサイクルも同様だ。1990年代から続く長い「資源不況」で、投資不足の時代(静寂)が続いたからこそ、中国の爆食に対して供給が全く追いつかず、歴史的な暴騰を招いた。
直近では2021年のリチウムショックも記憶に新しい。2020年のパンデミックで「原油価格マイナス」という異常事態を経て、世界中が投資を止めた翌年、経済再開とともに価格は爆発した。
そして今、2025年。
市場は「中国経済の減速」を材料に売り込み、企業は在庫を減らし、鉱山への投資は凍りついている。
この光景は、過去の暴騰前夜とあまりにも酷似している。歴史の韻を踏むならば、2026年は「相場が静かに動き出す年(底打ちと反転)」、そして2027年は「火がついたように暴騰する年」になる。これは単なる予測ではなく、需給バランスシートが示す必然の帰結なのだ。
在庫はコストではない、「武器」である
では、日本の製造業はこの近未来にどう備えるべきか。
私は声を大にして言いたい。「ジャスト・イン・タイム(必要なものを必要な時に)」という平和ボケした神話からの脱却である。
平時において、在庫を持たない経営は効率的であり、キャッシュフローを良くする正解だった。トヨタ生産方式は素晴らしい発明だが、それは「供給網が安定していること」が大前提である。
供給網が分断され、資源が武器化される乱世において、過度な在庫圧縮は「死」を意味する。
価格が上がり始めてから調達担当者が走り回っても、もう手遅れだ。資源暴騰局面で最も恐ろしいのは、「高い値段で買わされること」ではない。「いくら金を積んでもモノが入ってこないこと」である。
2010年のショック時、在庫を持っていた企業は涼しい顔で生産を続け、持たざる企業が脱落していく様を私は目の当たりにした。ラインが止まれば、企業の信用は失墜し、市場シェアは瞬く間にライバル(特に資源を持つ中国企業など)に奪われる。失った信用とシェアを取り戻すのは、在庫保管料の何倍ものコストがかかる。
「不景気の今こそ、在庫を積む」
これは相場の鉄則であり、究極の逆張りだ。誰もが買い控えている今なら、まだ安値で、しかも確実に現物を確保できる。交渉の主導権はこちらにある。
経営者は、在庫を「削減すべき無駄なコスト」として見るのではなく、「有事における企業の生存を保証する武器」であり「保険」として再定義しなければならない。
バランスシート上の資産効率(ROA)が一時的に下がろうとも、事業継続性(BCP)を確保することの方が、これからの時代においては遥かに重要だ。株主にこう説明すべきである。「我が社は、来るべき供給ショックに備え、戦略的な備蓄を行っている」と。
