2025年7月10日(木)

終わらない戦争・前編沖縄

2025年6月20日

 那覇空港を離陸して約45分。眼下には、エメラルドグリーンの海に浮かぶ宮古島が見えてきた。島は平たんで川がなく、海は濁りにくい。「ミヤコブルー」と称される、透き通った青い海が、訪れる人々や観光客を魅了し続けている。

 島内を車で移動すると、サトウキビ畑や沖縄伝統の赤瓦の平屋住宅が点在し、のどかな光景が広がる一方、カーナビに表示された「東シナ海」の文字を見て、ここが国境付近の島であることを改めて認識した。

 陸上自衛隊宮古島駐屯地は南西防衛の要として、2019年3月に開設された。宮古諸島の防衛や警備などを任務とする宮古警備隊や先島諸島の対空戦闘を任務とする地対空誘導弾部隊などが配備されている。

島の中央に位置する宮古島駐屯地。写真右上のエリアが官舎になっており自衛隊員とその家族が暮らしている(JIJI)

 23年4月から宮古警備隊長兼宮古島駐屯地司令を務める比嘉隼人氏は「尖閣諸島まで約200キロ・メートルという物理的な近さもあり、南西地域で起きる事象一つひとつが『対岸の火事』ではないと感じている。我々には有事の際の初動の部隊だという緊張感がある」と話す。

比嘉氏は防衛省陸上幕僚監部に在籍していた際に宮古島駐屯地の開設に携わったため思い入れが強い(WEDGE以下同)

 宮古島駐屯地には約760人の自衛隊員が駐留し、日々、様々な訓練を実施している。印象的だったのは、サウナスーツを着た隊員のグループが駐屯地内を黙々とランニングしていたことだ。これは、「暑熱順化訓練」といい、南西諸島の夏の猛暑での訓練への耐性を身につけるためのものだ。その他にも、屋内射場での射撃訓練や装備品の取り扱いなどの訓練を実施し、宮古島駐屯地で実施できない砲弾の実射訓練などは、九州各地の演習場などで実施している。

 隊員の出身地も様々だ。司令職務室長の岡村浩治氏は鹿児島県の奄美大島出身。関東地方勤務などを経て、24年に宮古島駐屯地に配属された。

 「定年まで残り10年というタイミングで南西諸島での勤務を志願した。ここに骨をうずめる覚悟で、千葉県内で購入したマンションを売り、家族帯同で宮古島にきた」(岡村氏)

駐屯地を案内してくれた岡村氏

 前出の比嘉氏は沖縄本島南部の南城市出身で、祖母は沖縄戦の経験者だ。幼少期より戦争の悲惨さや命の大切さを繰り返し聞かされてきた。

 「『命どぅ宝(命こそ宝)』という言葉は沖縄県民の人生の軸だ。悲惨な戦争を絶対に起こしてはいけないし、国民や県民、市民の命や平和な暮らしを守る自衛官という職業は誇らしい。国防は誰かが担わなければいけない仕事であり、自分の故郷は自分で守り抜きたい」(比嘉氏)

 一方で市民団体による抗議活動は今もなお続いている。駐屯地の正門前の路上には「ミサイル基地いらない!」「宮古島を戦場にしないで」などと書かれた横断幕やのぼり旗が並ぶ。駐屯地には官舎が隣接しており、幼児や小学校に通う児童もいる。隊員やその家族の心情を察すると、複雑な気持ちになる。

正門前の路上に並ぶ反対派の横断幕やのぼり旗。抗議運動は今もなお続く

新着記事

»もっと見る