さる3月、日本橋浜町ハマハウスでWedge誌の読者イベントを開催しました。連載『モノ語り。』筆者でグッドモーニングス社長の水代優氏と、Wedge編集長大城慶吾が、聞き手となり、岩尾俊兵・慶應義塾大学准教授に「論語と経営」というテーマでお話をうかがった内容をここに再録いたします。

私の実家は佐賀県で、父親が漢文の塾をやっておりました。元々は、有田焼の窯元だったのですが、祖父と父が経営方針を巡って対立し、父が独立したのですが、その会社は倒産してしまいました。ですので、一気に「どうやって飯を食うかって状態になりました」。それが原因となって、私は自衛隊に入りました。
父親は、会社が倒産する前からずっと漢文が好きで、会社の中でも漢文の塾を開いてました。だから、私も、幼い頃から漢文を暗記させられていました。意味も分からず、暗記していました。「明日まで覚えてこい」と言われて、覚えてないと、叱られました。
そんな父親だったので、覚えなきゃいけない。でも、意味が分からない。だから、意味を一個ずつ聞くわけですね。「この漢字、どういう意味?」と。そして自分なりに理解して、覚えられるようになる。小学校2年生くらいから、中学生まで。繰り返し、繰り返し覚えさせられて、意味を聞いて自分なりに解釈するというのを繰り返していくと、漢文が内面化されていきました。
では、実際の「論語」を見て行きましょう。
「徳」があるように一生懸命振る舞う
その1「為政第二01」
「爲政以德 譬如北辰 居其所 而衆星共之」(徳によって政治を行えば、民は服する。それは、不動の北極星を中心に、星が回るようなものだ)
解釈はいろんなことが書かれていますけれど、その人なりの解釈なので、漢字を見て自分で想像すればいいんです。
道徳を持って政治を行えば、例えて言えば、北極星(北辰)、その位置にとどまって、中心にあるようなものである。
解釈すると、「まつりごと」は、人の上に立つことですね。そして、組織を作り、その共同体を豊かにする。つまり、あらゆるところに「まつりごと」があります。会社組織の経営でも、中心に徳を据えれば、北極星みたいに周りに人が集まってきて、自然に動くようになるっていう、こういう解釈を私はしています。
これをまさに考えたのが、渋沢栄一です。「論語と算盤」ですね。渋沢は、何を考えてこんな本を書いたか。農民の生まれで、武士階級に取り立てられて、そこから明治維新、大臣とかになる道がいっぱいあったわけですけれども、自分は民間に行って、豊かさを実現するという選択をした。「官尊民卑」の時代にです。
「そんなに金が欲しいのか」みたいなことを言われて大喧嘩したこともあるみたいですね。でも「違うよ」と。もしその実際にお金を稼ぐという行動がなければ、そもそも損得、といったものは空理空論になる。一方で、お金を稼ぐ人は小賢しくて、お金は稼げるけれども「徳」がないので、長続きしない。だから、「徳」が必要になる。
武士が持っていた「徳」と、あの商人が持っていた「実践」。両方持って「士魂商才」です。そこで持ってきたのが論語でした。
実際、私も会社を経営していますが、私に「徳」があるかはさておき、朝9時から夕方までの間は、自分にも「徳」があるように私なりに一生懸命振る舞っています。組織のトップである経営者がそういう行動をしなければ、周りに人も集まってこないし、みんなが信じられる未来がない。「お金を稼ぐだけで良い」と思っていたら、みんな見透かすわけですよね。
そういう意味で、根本に「徳」があると、人が集まってくる。人が集まってくると、多少の無駄があっても、組織がいい方向に動いていく。渋沢も、これが本当にこう大事だと考えたのだと思います。
ただ、この論語が求めるのは結構厳しいです。
経営というのは「知的総力戦」
その2「学而第一14」
「君子食無求飽 居無求安 敏於事而愼於言 就有道而正焉 可謂好學也已」(君子たるもの飽食せず、住まいに安らかさを求めず、仕事は敏速に行い、言葉を慎み、有徳の人を訪ねて自分を正す。こうした人を学問を好むというのだ)
具体的に「徳」のあるリーダーとは、どのようなものかということです。
小さい人と書いて「小人」。これは、偏差値秀才のようなものです。勉強はできて、出世はするも、それだけでは小人なのです。君子、本当のリーダーというのは、飽きるほど美食を求めて、太ってはいけない。私自身、最近ちょっと太ってきましたが…(笑)。
そして、安楽な家に住むことを求めないで、なすべき仕事を素早くこなして、自分のことについては多くを語らず。
周囲に優れた意見を持つ人、優れた人格を持つ人がいれば、その人の元を訪ね、教えを請う、自分を正しくしていく。こういう人こそが本物のリーダーであるという話です。
私は、経営というのは「知的総力戦」だと言ってきました。会社の成長は、何かしら個人の成長にもプラスになるはず。そうなってないのだとしたら、会社の仕組みづくりがおかしいはずなんですね。
それぞれ人は、人生のエキスパートです。生きてきた人生観と持っている知識が違うので、見えている景色が違う。だから、いろんなアイデアを出してくる。それぞれ全部リスペクトしつつ、自分が「こうだ」と思うことに反対意見があっても、「なるほど、それはそうですけど、こうですね」というように、他者の意見を取り入れていかないといけない。
ただ、実際には「自分が金を出しているんだ!」「責任をとれ。君が全部やれ」など、頭を押さえてしまう経営者も少なくない。そうした経営者には、周りがペコペコしがちになるので、資本主義社会でお金を持っている人、神様みたいな存在になってしまう。そうすると、どんな人も何らかの意味で人生のエキスパートであるという価値観を忘れてしまい、意思決定の質が低くなる。
しかも、経営者に対して、周囲の人が意見をしなくなり、「もう、勝手にやれば」となる。そうすると、一人で処理しなければならない情報の量が増える。当たり前ですけど、周りが情報処理してくれなくなるんです。どんな天才でも、1人で100人分の情報処理はできないので、どんどんミスが増えていく。ちゃんと調べればわかったはずの案件にも手を出して契約、投資をしてしまう。