家庭にも、友人関係にも、どんな場所にも政治はある
その7「為政第二 21」
或謂孔子曰「子何不為正也」子曰「書云『孝乎惟孝 友于兄弟 施於有正』 是亦爲正 奚其爲爲正也」(ある人が孔子に尋ねた。なぜ、あなたは政治に携わらないのか? 孔子は「書経」にこう書いてあると言った。親に孝行し、兄弟が仲良くする。これも政治だ。生活を良くすることも政治なのに、なぜ政治に携わる必要があるのか?)
孔子が、「なんで政治をしないの?」と、言われたんです。それに対して、どんな場所にも政治があると答えたわけです。家庭にもあるし、友人関係にもある。だから私は政治を、今やっているといていうわけです。
だから私が言ってる「人生経営」と同じで、私はたまたま経営者という立場にいますが、人間の集団の中で生きている限り、必ず経営はあるんですよね。
過去にやらかしたからといって排除しない
その8「衛霊公第十五23」
「君子不以言舉人 不以人廢言」(良いことを言う人が良いというわけではない。悪い人の中にも良い言葉はある)
これは君子、リーダーは、その言葉の内容、発言の内容だけを見て、ああ、この人いいねっといって、認めるってことはしない、口だけの人かもしれないっていう。必ず人物を見る。
一方であの人物を見て、あ、こいつあいつはもう信用できないなとか、あいつは過去にやらかしたからといって排除せず、あいつの言うことは聞かなくていいって言わない。
人からやられたくないことは他人にしてはならない
その9「衛霊公第十五 23」
子貢問曰「有壹言而可終身行者乎」(子貢問う。一生をかけて行うことができるがありますか?)
子曰「其恕乎 己所不欲 勿施於人」(孔子言う。人を思いやることだ。自分にしてほしくないことを他人にするな)
先ほども出てきた子貢です。「貨殖列伝」にも出てくるお金持ちです。やはり、こういう問答も、経営ぽいですね。あの現在のビジネスにも通じます。人からやられたくないことは他人にしてはならないということですね。
2500年も読み継がれていること自体が奇跡
その10「衛霊公第十五29」
「過而不改 是謂過矣」(過ちを認めないことが、本当の過ちだ)
間違うことは誰でもありますが、それを認めない、改めないのが本当の過ちだということです。
でも、日本はこればかりじゃないですか。間違っていても謝らない、修正しないことが多くなっています。これは私も含めてですけど学ばないといけない。
こうしてみると、なぜ論語が2500年も読み継がれていること自体が、すごい奇跡みたいなものですよね。皆さんも、論語を読みましょう! ということなのですが、ただ読んで知識として蓄えるのではなく、大事なのこてゃ、行動までセットでやることですね。