日本にはもう来ない?
以上に見た習近平政権の「人類運命共同体」「地球生命共同体」論と、その象徴となったパンダの姿、ならびに近年の具体的な「パンダ保護国際協力」の運用実績に照らして言えば、中国から見た日本の立ち位置は中途半端なものであることが分かる。
94年、中国は外国へのパンダ贈与や安易なレンタルを取りやめ、「パンダ保護国際協力」方式に移行したが、和歌山県白浜町に迎え入れられたパンダは、初めてこの枠組みを適用したものであった。この点において、日本は確かに「パンダ保護国際協力」の先駆的存在である。
しかしながら、習近平中国が設定した「パンダ保護国際協力」の前提となる様々な政治的基準に、今の日本は最早当てはまらない。日本は中国が主導する「一帯一路」には加わらず、「人類運命共同体」構築には関心がなく、むしろ巻き込まれるのを拒み、法の支配のもとで開かれたインド太平洋ならびにグローバル社会を推進しようとしている。またいわゆる「一つの中国」言説をめぐっても、中国側の立場を認識するレベルでとどまっている。
そして何と言っても、今ほど中国の内情が知られていなかった時代にパンダが放った「日中友好の象徴」という印象が、その後の日中関係の激変、そして中国をめぐる諸事情・諸問題が広く知られ、複雑な中国観が広まる中で、随分と薄まってしまったことは否めない。
したがって今後中国は、そのような日本と「パンダ保護国際協力」を進めるよりも、むしろ数限りあるパンダを純粋に友好協力の使者として受け入れ、「一帯一路」「人類運命共同体」構築に協力的な新興国に送った方が良いと判断する可能性が高い。
中国外交部の定例記者会見では最近、日本におけるパンダの今後をめぐる質問を日本のメディアから振られる度に、「パンダと会いたい日本人民の中国訪問を歓迎する」という趣旨を強調している。これは中国による「生態文明建設」の象徴であるパンダ国家公園への日本人の来訪を促すことで、中国側の大幅な出超となっている旅行収支を埋め合わせるだけでなく、中国が主張するところの「日本人が誤った対中認識を正し、真実の中国を直視する」またとない機会にもつながる。
しかしそれ以上に中国が狙うのは、日本人にパンダの今後を様々に議論させること自体が中国の存在を強く意識させることにつながるという効果であろう。パンダをめぐる全ては、所有者である中国の掌の上にあり、日本人も既にその魅力から逃れられない以上、中国はパンダを日本に送るか否かをめぐる判断を無期限に先延ばししながら、日本国内においてパンダを梃子にした日中友好・協力論が再び高まるのか否か、日本の世論が少しでも米国や台湾から離れるか否かを、長い目で推し量っているものと思われる。
筆者の私見では、このような中国の狙いに振り回される日本側の迷いや忖度そのものが日本の国益に資さない。中露両国が目指す「多極化世界」「人類運命共同体」の大国主義的かつ恩恵主義的な発想は、いつしかウクライナの惨禍や台湾への圧迫をもたらし、世界各地で法の支配を崩す一方、米国自身も開かれたグローバル社会の主導者の座から下りてしまった。そのような中、日本には中国が仕掛ける駆け引きに付き合う暇はない。
習近平中国によって武器化されたパンダ外交を無効化するような、開かれた国際社会の維持拡大こそが喫緊の課題であり、パンダがもたらす微笑みという小さな利益に日本の国益が浸食されるのを座視する時代は終わった。
