2025年12月5日(金)

勝負の分かれ目

2025年1月28日

 野茂氏ら日本の投手がフォークという特殊な変化球や制球力で高い評価を得ていたのに対し、試合に常時出る野手は時差もある全米を移動した上で連戦続きの長丁場のシーズンを乗りきる肉体的負担や、メジャーのパワー野球に非力な体格的ハンディを懸念する厳しい意見も多かった。

 イチロー氏も99年、特別に参加したマリナーズのキャンプでは思うようなプレーができなかった。デイリースポーツの当時の担当記者が19年に書いたコラムでは、当時のイチロー氏について「この2週間のキャンプ体験で残念だったのは、体調不良で出場を予定していたオープン戦4試合のうち2試合を休んだことだ。乾燥した気候のせいで、腹痛、脱水症状に苦しみ、無念のドクターストップ」との記述がある。

 こうした経緯もあってか、日本球界最高峰のアベレージヒッターとして、00年オフにオリックスからポスティングシステムでマリナーズへ移籍したときの覚悟について、殿堂入りの会見ではこう語っている。

 「日本の野手の評価は、僕の1年目で決まる。そういう思いを背負ってプレーした記憶がある」

世界と日本へ与えた衝撃

 体の前にスッと立てたバットをクルリと回して姿勢よく、マウンド上の投手と対峙する。卓越したバットコントロールで安打を重ね、非力とされたパワーは打ち損じのゴロも俊足を生かして内野安打にしてしまうスピードで補って余りあることを見せつけた。

 安打数を示すお手製ボード「イチ・メーター」を持つファンが登場するなど、細身の肉体から安打を量産するバットマンは、本場のファンの心もわし掴みにした。さらに塁に出れば、盗塁を警戒させて、相手投手のかく乱。隙のない鉄壁の守備範囲は「エリア51」と評され、強肩を駆使した「レーザービーム」と呼ばれた好返球は、走者の進塁を許さなかった。

 パワーに象徴されるメジャースタイルに、感性とスピードを持ち込んで自らの地位を確立させた。

 その影響力は日本球界にも“還元”された。06年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として凱旋。本塁打だけに頼らず、小技も絡めた緻密な「スモール・ベースボール」で世界一に貢献した。

 大会開幕当初は、日本でも認知度が低かったWBCの盛り上げに貢献し、日本が2連覇した第2回大会は直前のキャンプから大フィーバーがわき起こった。「侍ジャパン」の中心は、イチロー氏だった。


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