一流のプレーヤーとして、メディアへの対応は厳しいことで知られた。知識不足の質問には首を横に振って答えない姿勢は、メディアにも取材の“プロ”としての自覚を求めたからこその対応だった。
自らも一つの質問と真剣に向き合って言葉を紡ぐ。歯に衣着せぬ直言的なコメントゆえに、イチロー氏の発言はファンを惹きつける魔力を持っていた。
「理想」や「あこがれ」の的に
孤高の存在でもあった。最初にマリナーズに移籍した時期はチームの低迷期とも重なり、チーム成績とは関係なく、自らが打撃成績を積み重ねていく姿が孤立を生んだと報じられたこともある。
しかし、マリナーズは、ヤンキースとマーリンズを経て18年に復帰すると、19年3月に日本での開幕シリーズをイチロー氏の引退試合という最高の花道として用意した。その関係は現在にまで続く。
そして、引退から5年が経っても、セカンドキャリアに野球解説者や指導者という従来の常識にとらわれることなく、米シアトル郊外で暮らし、マリナーズの本拠地で現役選手の練習時間よりも前に顔を出しトレーニングを続ける。また、日本で女子野球チームと東京ドームで真剣勝負の試合を行い、全国の高校球児の求めに応じて指導に足を運ぶなど、野球振興にも尽力する。
引退会見では将来について「監督は絶対に無理ですよ。『絶対』がつきますよ。人望がない。本当に人望がないですよ、僕」などと完全否定したが、協調性を優先するあまり、個性が失われつつある日本社会で際立つ存在感は、今なおファンに広く支持される。特に、イチロー氏の活躍を横目に年齢を重ねた世代には「理想」や「あこがれ」の象徴的な存在となり、大企業のCM出演などが後を絶たない要因ともいえる。
日本人野手の活躍は「まだまだ」
自らが「基準になる」と覚悟を口にした日本人野手のその後は、イチロー氏の目にどう映っているのか。2年遅れて海を渡った松井秀喜氏がヤンキースでワールドシリーズ制覇と日本選手初の同シリーズMVPを獲得し、現在は投打の二刀流に挑む大谷選手が打者としても、現役メジャー野手の最高峰としてめざましい活躍を遂げる。ただ、スポーツニッポンによれば、昨季までにメジャーでプレーした日本選手72人のうち、野手は3分の1以下の20人にとどまる。イチロー氏も会見でこんな見解を示した。
「僕が初めて来てから25年目となるんですけど、感覚的にはまだまだ少ないんですよね。あまりにも進み方が遅いというのが僕の感触です。各チームに1人、2人、最低いるぐらいになっているんじゃないかと期待していました。でも全くそこまで届いていないです。これが僕の感想です」
イチロー氏のはがゆい思いは、現在のメジャー野球のスタイルにも及ぶ。
昨年末に放映されたMBS/TBS系のドキュメンタリー番組「情熱大陸」で、共演した松井秀喜氏から「今のメジャー見ているとストレスたまりません?」と問われ、「たまる、たまる。めちゃめちゃたまるよ!退屈な野球」と応じた。その真意は、統計学などを駆使したデータという無機質な評価軸への依存度が高まることで、選手個々の「感性が消えていく」ことへの危機感だった。
はたして、野球に限ったことだけだろうか。データや数値によって様々なことが可視化される時代は高まる利便性と引き換えに、大切な何かを失ってはいないか。日米28年にわたって現役でプレーし、その功績を日米同時の野球殿堂で称えられたレジェンドの言葉は、強烈な問いかけとなっている。
