墨俣砦の必要資材
次に資材にいこう。柵や櫓(やぐら)、小屋建築用の木材である。
長尺(2間半=4.54m)の松・桧の材木は250本、短尺は松5000本、松の短尺(1間半=2.73m)材は8500本。
機材については、川舟94艘、田舟128艘、火縄銃75挺。
これらを以て砦造りにかける日数は、『前野家文書』では3日間で竣工(『太閤記』でも3、4日となっているから、それを参考にしたのかもしれない)となっている。
3日の工期の場合の兵站は、兵粮として荷駄2頭分しか計上されていないので、米俵4つ、4石だ。これを大工286人に1日6合ずつで配給すると仮定すれば1.7石/日で、これだと3日分5.1石。兵員は全員に1日分の米6合を各自持参せよと指示が出ている。そのため1351人が残り2日分米12合を受け取ると2.7石余りだから合わせて7.8石。
持って行った米4俵だと半分くらいにしかならない計算になるのだが、これはどうしたことだろう……。実はここにカラクリがある。
文書によると、この2駄は「干し飯」なのだ。
干し飯は文字通り炊いた米を干して乾燥させた戦国時代の携帯食の代表的な一品で、普通に炊いたり、火が焚けない時はしばらく水に浸してふやかして食べたり、その余裕も無い時はそのままポリポリとかじったりした。
その重量は水分が抜けており炊いたばかりの米の半分の重量。つまり2駄で8石、ギリギリ足りる分量という事になる。
それでも足りなければ、「墨俣には食糧が豊富にあるから、それを奪って食え」などとも文書に書かれている。現地で強制調達しろというわけだ。
ちなみに「なんで大工しか兵糧配給してもらえないんだ?」と思われる向きもあるかもしれないが、兵たちは3日分の手弁当で、その後が雇い主(大名や武将)からの支給となるのがこの時代の常識なのだ。この場合でも手弁当の日数内に収まっているという形だから計算からは除外してある。
人件費は?
次に経費の計算である。まずは大工や船頭らの手間賃だ。熟練大工1人1日の賃金は戦国時代を通じてザッと100文だから、286人全員熟練工で28.6貫文/日、これが3日分で900万円弱。
船頭123人に加えて仮に筏師が25人ほどと仮定して大体150人で1日分15貫文=150万円弱。合計43.6貫文、1000万円余りだが、プラスαで危険手当があったかもしれない。ちなみにドラマでは筏がメインとして描かれていたが、もし墨俣一夜城が史実だとすればよく言われるように上流で切り出した木材をその場で加工するプレハブ工法だったと考えるしかないので、長いまま筏に組むしかない長材よりも切断加工済みの短材が圧倒的に多かったはずで、舟による輸送に頼る他無かったと考えられる。
