いよいよ最初のクライマックスだ。前回「桶狭間の戦い今川義元の本当の狙いは?豊臣兄弟も巻き込まれたマネー戦争」の内容通り、最優先目的として桶狭間の決戦直前に大高城兵粮入れが行われたことは間違いない。ただし、それは松平勢が丸根砦を攻め落としたその後の話だ。
信長研究のバイブル『信長公記』に「十八日夜、今川方が兵粮入れを妨害されないよう十九日朝に(丸根・鷲津の)砦を攻め落とそうと軍議決定する事は間違い無い」と諜報したという記述を後の人が勘違い(著者の太田牛一も自分のメモを後で読み違えて勘違いしたようだが)して18日夜に兵粮入れがあったとしてしまったのだ。
他の部分では信長は「今川軍は夕方に食事を摂った後一晩中行軍し、大高城兵粮入れや鷲津・丸根攻めで疲れている」と述べたとあるが、兵粮入れは夜ではない。あくまで鷲津・丸根砦攻撃と並列だ。
この戦いの様子を家族から伝え聞いていた「天下の御意見番」大久保彦左衛門はちゃんと「それ(丸根砦陥落)より、大高の城に兵粮米を多く籠めた(搬入した)」と時系列を正しく理解している。
だから、大河ドラマ『豊臣兄弟』では前日の夜中になっていた兵粮入れは、丸根砦が陥落した午前9時前から決戦が始まる正午過ぎまでの2〜3時間の間の明るい時間帯だったはずだ。
義元以下の今川軍は、この合戦の第1マイルストーンである鷲津・丸根両砦の攻略を済ませ、絶対達成目標である大高城の解放と補給を成功させた。この段階で義元以下全員がテンションマックス・ハイ状態、緊張感ゼロ。
布陣図を見ても西の大高城方面に向けて義元本隊―松井宗信隊・井伊直盛隊―瀨名氏俊隊―朝比奈泰朝隊(鷲津砦制圧)―松平元康隊(丸根砦制圧後大高城)と、完全に前のめりな各隊配置になっていて、脇備(わきぞなえ)や後備(あとぞなえ)の部隊も無く義元本隊の側背はがら空きになっている。
