米・イスラエルのイラン攻撃作戦「壮絶な怒り(イスラエル側の名称「ライオンの咆哮」)」に対し、イランの周辺アラブ諸国への報復攻撃対象は13カ国に及んでいる。他方でイスラエルはイランを支持するイスラム教シーア派「ヒズボラ」の拠点がある南部レバノンを攻撃し始め、戦火は中東広域に拡大する様相を呈している。
攻撃開始直後トランプ大統領は数日で作戦は終了すると豪語したが、3月2日には「4~5週間か、それ以上になるかもしれない」と言い始めた。イラン側の反撃が思いのほか多岐にわたり、当初の予想を超えたものであったことは確かだ。しかし、トランプ大統領はイランの防空システムは打ち破られ、戦況は優勢であると喧伝している。
戦闘そのものは米イスラエルが優勢であるように見えるが、戦争終結のシナリオが見えない。最初の攻撃でイランの最高指導者ハメネイ師の殺害には成功したが、3月8日にイランはハメネイ師の次男モジタバ師を後継者に選出した。同氏はトランプが反米的人物として拒絶していた人物だ。イランの徹底抗戦の姿勢を示すものと考えられ、戦争の長期化と泥沼化を懸念する声もある。
筆者は23年前、イラク戦争開始前後1年ワシントンにいて、この戦争をつぶさに観察したが、米国は戦闘後の青写真を周到に用意していたにもかかわらず、その計画が裏切られた経験を重ねた。それ以後「空爆では体制変換はできない」というのは軍関係者の共通認識だ。今後イランの体制変換や安定が容易ではないことは想像できる。
民族・宗教・文化的関係が錯綜するこの地域では、そうした摩擦の根源を断たない限り、終息しない。そうした要因にもともと縛られていなかった米国の独立・建設の歴史的成功体験は、この地域には当てはまらない。
「力の平和」の試みは逆に混乱を助長するだけでしかない。そして戦争の長期化は、秋の中間選挙に向けて、トランプにとって負の要素でもある。
ネタニヤフの仕掛けた戦争
そもそもこの攻撃はイスラエルのネタニヤフ首相がトランプを急き立てた戦争だった。
イスラエルは2000年代初め、イラン・ナタンズで核開発施設が発覚した時から、イランへの警戒を強め、施設破壊の計画を練っていた。イラン攻撃を望まないオバマ政権と、15年のいわゆるイラン核合意によってその意図は米国によって抑えられてきた。
17年トランプ政権が誕生すると、イスラエルはイランに最大限の圧力をかけるよう促してきた。翌年トランプ政権はこのイラン核合意を離脱した。
『ニューヨークタイムス』によると、18年1月にイスラエルのイラン核攻撃作戦準備が始まったという。この時モサドのコマンド部隊は、核兵器への軍事転用の可能性がある核開発計画に関する情報を得ていた。ただこの情報は当時においても新しいものではなく、欧州諸国ではすでに知られていることだった。
