その後ハメネイ最高指導者の側近らの殺害や核施設ナタンズへの攻撃、そして昨年6月の米国と共同したフォルド、ナタンズ、エスファハーン核開発施設への空爆が行われた。そのときイラン核施設と核燃料は破壊・排除されたとみられていた。しかし地下施設の核兵器開発燃料の破壊の確実性は疑問視されていた。
2月28日にテヘランのパストゥール通りでハメネイ師が出席する会合が予定されているとの情報を最初に掴んだのは米中央情報局(CIA)だった。他方で、同月11日にネタニヤフ首相がワシントンを訪問し、トランプ大統領にイラン攻撃を強く促していたといわれている。両指導者は開戦までに頻繁な電話でのやり取りをして、情報交換していた。
仏情報TV「France Info」の4日夜のニュースでは、数カ月前からハメネイ師の住居周辺にはイスラエルの対外諜報機関モサドの手で、十数台の監視カメラが据えられ関係者の電話やインターネットの交信は傍受されていたという。人的接触「ヒューマンミント」による情報収集も行われており、ハメネイ政権下の監視国家内部でも反体制分子が存在し、情報協力者もいたことが示唆された。
しかし米・イスラエルどちらが攻撃を主導したかについては議論が分かれる。どちらが主導的であったかという問いは、国際法上の責任をどちらが追うのかという問題に発展する可能性がある。
米・イラン交渉は合意間近だったのか?
米国による攻撃直前の2月26日にスイスのジュネーブで終了したイラン・米国の核協議は、合意に至らなかったものの、イランのアラグチ外相が核協議交渉は合意に向かって進んでおり、交渉は3月初めに再開されるとしていた。
戦端が開かれた直後、仏「ルモンド」紙(3月3日付)は、最新ラウンドの1月26日にジュネーブで行われた米・イラン合意交渉の仲介役を務めていたオマーン外交筋が「イランは濃縮ウランをこれ以上備蓄しないことを初めて受け入れていた」という見解を示した。
西側諸国によると、イランは60%まで濃縮された核分裂性物質を約440キログラム保有しており、それは理論上核爆弾を10発製造するだけの量だとみられている。25年6月の米イスラエルによる空爆作戦ではこの備蓄は除去されなかった。空爆を受けながらも破壊された施設内地下深くに気体の形で埋蔵されているという。
しかし濃縮ウランを備蓄しないという提案は全く新しい議論だ。備蓄に関する議論が無意味化するからだ。「濃縮物質を備蓄できなければ、どんな形でも爆弾を製造することはできない」、「和平合意は手の届くところにあった」と、同外相は述べた。
この時濃縮ウランの処理についても議論が出ていた。「すでに濃縮された物質の全部または一部を国外に移送し、残りをイラン国内で国際監視下のもと希釈するという点で、合意の光が見え始めていた。ロシア、カザフスタン、トルコなどの国々が、イランの濃縮ウラン在庫の受け入れ先となり得たというが、交渉の論点は受け入れ国の“身元”ではなかった」と西側外交筋は語った。これは攻撃後のイランとの交渉でも出ている議題だ。
米国側のもう一つの大きな要求、イランの濃縮活動の完全放棄についても、「妥協の可能性が見え始めていた」と外交筋は語る。議論された案は、イランには象徴的な量の濃縮能力(1~2%)を認める代わりに、濃縮物質は備蓄せず、即時消費するという条件を付けることだった。
オマーンの考えでは、この程度の水準であればイラン指導部が面子を保つことができるし、他方で米国政権も外交的勝利を主張できた可能性がある。15年のイラン核合意は、濃縮度を3.67%に制限しており、今回はそれよりもはるかに低い濃縮能力だからだ。
しかし、27日にはトランプ大統領は「イラン側の交渉手法に不満だ」と述べて、このプロセスを突然打ち切り、軍に行動を命じた。米国はイランの濃縮活動の全面停止に加え、その弾道ミサイル戦力や、中東における非国家主体(レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派など)へのイランの支援に関する協議を求めていたが、テヘランはこれらを拒否していた。
