チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月28日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

時事通信社外信部記者

1969年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社入社。社会部、外信部を経て2002年6月から07年10月まで中国総局(北京)特派員。 外信部を経て11年8月から2度目の北京特派員。11年、早稲田大学大学院修士課程修了。現地での中国取材は10年に及ぶ。16年5月に帰国し、現在外信部記者。近著に『中国 消し去られた記録〜北京特派員が見た大国の闇』(白水社)、著書に『中国臓器市場』(新潮社)、 『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、「第22回アジア・太平洋賞」特別賞受賞)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)がある。14年に戦後日中外交史スクープで13年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

 米ニューアーク空港(ニューヨーク郊外)行きのユナイテッド航空88便は定刻より2時間近く遅れ、5月19日午後5時37分、北京空港を飛び立った。13時間のフライトの後、空港ではなく、ニューヨーク大学で、松葉杖姿で大量の報道陣の前に現れた中国の盲目の人権活動家・陳光誠(40)は、「皆さんが私と共に、中国の公平・正義を一緒に推し進めるよう望む」と呼び掛けた。さらに「謝謝(ありがとう)、謝謝」と2回繰り返し、最後に「公平・正義に国境はない」と力を込めた。

陳氏の本音は「米国」より「中国」?

 しかし内心は複雑だった。離陸直前、筆者は陳の携帯に電話し、「うれしいか」と問い掛けたが、陳は「没有」(そうではない)と述べていた。7年間にわたる迫害を受け続けた故郷・山東省東師古村に年老いた母親や、故意殺人容疑に問われ、逮捕されたおいを残し、本音は「米国」ではなく「中国」に向いているようだった。

突然の出国指示、
パスポートも持たず即北京空港へ

 5月2日から入院していた北京市中心部・朝陽病院で、陳光誠が「きょう空港に行く」と聞かされたのは当日5月19日の午前11時40分頃。そのわずか1時間ちょっと後の午後1時前には、妻の袁偉静や子供2人とともに車に乗り、病院を後にした。東師古村からの20時間以上に及ぶ壮絶な脱出劇で足を3カ所も骨折しており、陳一家には医師と看護師が離陸まで同行した。

陳光誠氏を乗せたユナイテッド航空88便(筆者撮影)
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 前日の18日。陳は電話で話した友人の人権派弁護士・江天勇に対してこう漏らした。「江老兄、出国に向けた準備をしておくよう言われたんですよ」

 しかしこんなに突然の出国とは想像もしなかった。陳一家は中国当局に申請していたパスポートも持たず、病院を離れた。パスポートを渡されたのは空港に着いてからだった。

 陳は少なくとも2つの携帯電話を持っていた。米大使館が手渡したものだが、番号が知れ渡った一方の電話はつながらず、筆者はもう一つの携帯の番号を陳の友人から教えてもらい、電話したら運良く陳につながった。筆者も陳の出国を取材するため空港内にいた。

離陸前の電話取材「うれしくない」と答えた陳氏

 「間もなく中国を離れるが、どんな気持ちか」

 「数え切れない感慨がある」

 「うれしいか」

 「そういうのではない」

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